
2024年12月18日(水)
<讃美歌>讃美歌28番「あゝ ベツレヘムよ」
<聖書日課>ルカ7章31~35節「知恵の証人」
人は知恵を尊重します。いろいろな専門知識を持っている人を尊敬します。そして、自分も知恵ある者になりたいと願います。
でも私たちは、この世が求める知恵と、聖書が語っている知恵とは違っていることに、うすうす気がついています。
この世の知恵は努力を求めます。世の人々は、頑張って勉強して自分の価値を高め、社会的名誉を得ようとします。それが自分を幸せに導くと信じています。 その知恵は正しい知恵でしょうか?
パリサイ人たちや律法の専門家たちは、知恵を追い求めました。旧約聖書を一所懸命、暗記するほど読みました。そこから身につけた知識を、人々に語り、自分が知恵ある者であることを証明しようとしました。
また彼らは、人々に律法を守るように迫りました。事細かな決まり事を守り、努力して天の御国に入るように勧めました。そのようにして彼らは、人に対する神のみこころを拒んだのです。(30節)
確かに旧約聖書には律法が要求する決まり事が幾つも記されています。「あなたには、わたし以外に、ほかの神々があってはならない。」 「あなたは自分のために偶像を造ってはならない。」
「安息日を覚えて、これを聖なるものとせよ。」 「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。」
神は、それらの律法を私たちに突きつけました。そのことによって、神は私たちに罪を教えられました。そして私たちは、その罪の解決を、誰も持っていないことも教えられたのです。
そこに神の知恵がありました。神は、律法によって、人の知恵の限界を示されました。イエス様は言われます。『知恵が正しいことは、すべての知恵の子らが証明します』。
箴言の8章に『知恵であるわたしは賢さを住まいとする』(箴言8章12節)とあります。イエス様が言われる<知恵>とは、神の知恵であり、イエス様ご自身です。
そして、その知恵であるイエス様を信頼する者が、知恵の子らであり、私たちです。 知恵は人を永遠のいのちに導きます。それを証明するのが私たちです。
私たちは知恵であるイエス・キリストの証人なのです。このクリスマスの時、私たちは知恵の証人として、喜んで過ごさせていただきましょう。
アーメン