2026年03月25日(水)
<讃美歌>讃美歌71番「尊き主イエスの」
<聖書日課>マタイの福音書22章23~33節「生ける神」
サドカイ人たちは、自分たちの持論である「復活はない」ことを主張するために、あり得ないような事例を持ち出して、イエス様に論争を挑みました。
彼らのそのような主張に対して、イエス様は「神は生きている者の神です。ですからアブラハム/イサク/ヤコブは今も生きている」と教えられました。
その教えは、アブラハム/イサク/ヤコブは今も生きている。だから「復活はあるのです」と主張されたのです。
その事は、イエス様は彼らに「あなたがたは、聖書の教えを理解していない」と言われたのではなく、「あなたがたは、神を誤っている」と教えられたのです。
では、私たちは神を誤っていることはないでしょうか。私たちは、復活は当然あると信じています。
でもここでイエス様は、私たちに「あなたは復活を信じていますか」ではなく、「あなたの信じている神は、生ける神ですか」と問われています。
人は“生ける神”を見失うと、復活も、現在の歩みも、すべてが見えなくなります。
“生ける神”を見上げるとき、私たちは、未来も現在も希望に満ちて生きることができます。
神は「生ける神」であり「永遠の昔から、今の時代も、永遠の未来に至るまで」働いておられます。
・私たちと神との関係は死を超えて続きます。 ・私たちの 復活の希望は、現在の歩みを支える力となります。 ですから、”神の忠実さに根ざした信頼”こそ、私たちの信仰の中心であり、
私たちがそのような神を信頼して、今を生かされるときに、神は「生ける神」となって、あなたを導いてくださるのです。
八鹿教会のこれからの信仰の歩みが、ますます生ける神に導かれるものとなりますように願っております。 アーメン