<讃美歌>讃美歌238番「いのちの糧 主よいま」

 <聖書日課>ヨハネ7章14~31、37~39節「生ける水の川」

14節に記されている祭りは”仮庵の祭り”です。9月下旬から10月の初めに行われます。イエス様は、その祭りの中頃にエルサレムの宮で人々に教え始められました。

イエス様が、その時何を語られたのか分かりません。しかしその教えは、聞く者が聞けば、それが神から出たものなのか、それとも自分から出たものなのかが分かるものでした。

イエス様に反感を持つユダヤ人たちは、「この人は正規に学んだことがないのに、どうして学問があるのか」と言っていぶかります。

彼らは、イエス様の語られる教えに神を見い出すことができませんでした。  それは、彼らが初めからイエス様を懐疑的な目で見ることしかできず、自分の栄光を求めていたからです。(18節)

そのようなユダヤ人に対してイエス様は、『だれでも神のみこころを行おうと願うなら、その人には、この教えが神から出たものか、わたしが自分から語っているのかがわかります』(17節)と言われます。

そうです。ユダヤ人たちは口先では、神様をあがめているようなことを言いますが、実のところは、自分の栄光を求め、神のみこころを行おうとしていなかったのです。

私たちはイエス様を罪からの救い主として信じたものです。その私たちは神のみこころを行おうとする者たちです。

しかし、私たちは弱い者でもあります。常にイエス様を見続けていないなら、サタンは、知らず知らずの内に私たちを、ユダヤ人(パリサイ人)にしてしまいます。

私たちが、ユダヤ人とならないために、常に自分を顧みなければなりません。「私の心の奥底から、生ける水の川が流れでいるだろうか」(38節)。これが、信仰の目安です。

イエス様は、「あなたの心が潤される」と言っておられません。「あなたの心から、生ける水の川が溢れ出る」と言われるのです。

そのことばからは、あなたがいたる所で神をほめたたえ、賛美し、喜んでいる姿を見ることができます。

あなたがみことばに生かされ、「イエス・キリストの栄光を現わしたい」と心から願っておられるなら、あなたは、神の栄光を求める者とされているのです。

これからも、八鹿教会のお一人お一人が、神の御霊を受けた者(39節)として、喜んで主に仕えられますように願っています。

アーメン

Write a comment:

*

Your email address will not be published.