2024年09月11日(水)

<讃美歌>讃美歌374番「たよりまつる」

<聖書日課>マタイ17章14~20節「生きて働く信仰」

一人の父親が「息子のてんかんの病を癒して欲しい」と言って、弟子たちに願いましたが、弟子たちには治せませんでした。 それで父親は、イエス様のところにやって来たようです。

18節を読みますと、息子は悪霊につかれていました。 以前弟子たちは、イエス様から遣わされて村々を回った時、病人を癒し、悪霊を追い出したことがありました。(10章8節)

なぜ今回、弟子たちは悪霊を追い出せなかったのでしょうか。

イエス様は弟子たちにこのように言われています。「あなたがたの信仰が薄いからです。‥もし、からし種ほどの信仰があるなら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移ります」。

からし種ほどの信仰とは、小さくても大きく成長する力を秘めた信仰です。それは神の力を受けている信仰です。 山を移すとは、困難な問題を解決するという意味です。

イエス様は弟子たちに「小さな信仰であっても、神の力を受けているのなら、山のように見える大きな問題であっても解決することができる」ことを教えられたのです。

以前弟子たちがイエス様から派遣されて村々を回った時は、神の権威を与えられていました。(10章1節) だからその時、弟子たちは悪霊を追い出すことができたのです。

しかし今回は、弟子たちは「前回できたので、今回もできるだろう」との思いで、自分たちの力で悪霊を追い出そうとしたのです。それは弟子たちの一人よがりな信仰だったのです。

信仰とは、自分の中には神に関する何かを成し遂げる力がまったくないことを認め、全面的にイエス様に頼ることです。

私たちが持ち得る信仰はもともと小さいものです。でもその小さな信仰は、生きて働く信仰でなければなりません。 私たちが、信仰者として生かされるためには、常にイエス様に頼る者でなければなりません。

私たちは、信仰者として自分一人で生きることはできません。イエス様に生かされて、初めて生きて働く信仰者とされるのです。

これからの皆様方が、イエス・キリストに全面的に頼る信仰者として歩まれますように願っております。

アーメン