2026年2月18日(水)

<讃美歌>讃美歌308番「冠ささげ」

<聖書日課>マタイの福音書6章1~6、16~21節「父なる神の報い」

イエス様は言われます、4節『そうすれば、隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます』。

このことばは、正しい宗教的行いについて教えていることばではありません。人の心の向きがどこにあるかを問うていることばです。

イエス様は、「あなたの心が正しい方向を向いていれば、神から報いが与えられます」と言っておられます。その<報い>とは単なる<ご褒美>ではありません。

人前で善行をする(1節)、人に見せるために祈る(5節)、人に気づかせるために断食する(16節)。これらはすべて「人に見られたい」という欲求が中心にあります。

その時、その人の心は世の人に向いています。 イエス様は、そのような心の向きを鋭く指摘しておられます。『隠れたところで見ておられるあなたの父が、あなたに報いてくださいます』。(6節)

つまりこのことばでイエス様は、「神に見られることこそが人の本当の喜びであり、人生の目的です」と言っておられるのです。

それでイエス様は「自分のために、天に宝を積みなさい」(20節)と言われます。ではどうすれば、天に宝を積むことができるのでしょうか?

人は、他の人の評価(世の評価)を気にするものです。 でもイエス様は、人の評価をまったく気にすることなく、常に父なる神を見ておられます。

そうです。天に宝を積むためには、父なる神を見なければならないのです。 しかし、人は直接的に神を見ることはできません。

だからイエス様は「自分のために、天に宝を積みなさい」と言って「わたしを見なさい」と諭しておられるのです。

イエス様は、人が自分をどのように評価するのかを見るのではなく、「もっと確かなものを見なさい」と言っておられます。 もっと確かなもの、それはイエス・キリストご自身です。

イエス様が私のために何をしてくださったか。イエス様が私をどれほど愛してくださったか。

それを知るとき、人は自然と謙遜にされ、「人に見られたい」ではなく、「父なる神に喜ばれたい」という心へと変えられるのです。

ですから、天に宝を積む行いは、イエス・キリストを見つめるところから生まれるのです。 そのような者に、「父なる神の報い」が降り注がれるのです。

これからのあなたの信仰生活の上に、父なる神の報いが豊かでありますように祈っております。

アーメン