<讃美歌>讃美歌349番「主に仕えまつらん」

<聖書日課>ルカ21章34節~22章6節「油断せずに祈る」

イエス様は人々に「その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい」と言われました。

”その日”とは再臨の時であり、地上のすべてのものが滅ぼされます。その時、すべての人は最後の審判者の前に出て、自分の信仰の申し開きをしなければなりません。

私たちイエス様を救い主と信じているクリスチャンは、その時、イエス様が仲保者として、神様と私たちの間に立って、私たちが裁かれることのないように守ってくださいます。

また”その日”とは、私たちが地上の生を終える日と理解することができます。人は、生きている時の行い(信仰)に応じて報いを受けるからです。(マタイ16章27節)

それでイエス様は、人々に「あなたがたの心が、‥沈み込んでいるところに、その日が‥臨むことのないように、気をつけていなさい」と言われます。

「心が沈み込む」とは、心が鈍くなることです。放蕩や酒を飲んで、自分勝手な生活を続け、イエス・キリストをすっかり忘れてしまうことです。

そのような生活を続け、地上の生を終わる者には、再臨の時のさばきが、突然わなのように臨むのです。そのような者のためには、神様の前で守ってくれる者は誰もいません。

そのような状況に陥らないために、イエス様は「いつも油断せずに祈っていなさい」(36節)と言われます。

イスカリオテ・ユダは油断しました。金に心が奪われ、祭司長たちにイエス様を引き渡す約束をしたのです。ユダはこの世の物に心が奪われ、サタンに自分の魂を渡してしまったのです。

聖歌433番「弟子となしたまえ」の4節に「ユダにはなるまじ、わが主よ‥」との歌詞がありますが、私たちは、誰もユダのように「主を裏切る者にはならない」と強く思っています。

ユダもそのように思っていたのです。でもユダは世の欲に心を向けた時、サタンに足をすくわれました。

この世で生活するためには、お金も必要です。ご近所の方々と仲良く暮らすことも求められます。

しかし、そのようなこの世の生活に関することが、あなたをイエス・キリストから引き離すことになるのなら、私たちは、そのような者から離れなければなりません。

そのために、イエス様はあなたに「油断せずに祈りなさい」と求められるのです。

主の栄光を現そうとする者が祈り求めるとき、主は必ず知恵を備えてくださいます。

皆様方が、サタンの誘惑に油断せずに祈る信仰生活を続けられますように祈っております。

アーメン

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