2025年09月10日(水)

<讃美歌>讃美歌346番「はかりも知られぬ」

<聖書日課>ルカの福音書18章18~30節「永遠のいのちの平安」

イエス様に質問した人は”指導者”です。指導者とは、パリサイ派の者でリーダー的立場にある人です。パリサイ派に属する人ですから、彼は小さい頃から律法を教え込まれ、「律法を守ることが天の御国への道」だと信じてきました。

それで忠実に律法を守り続けてきました。安息日には仕事はせずにきちんと礼拝を守りました。外出して帰ったときは、決められた手順で手を洗いました。 取税人や罪人と呼ばれる人たちとは、一切係わりを持ちませんでした。

でも彼の心には平安がなかったのです。彼は平安が欲しかった。しかし、律法は彼に”永遠のいのちの平安”を与えませんでした。それで、思い切ってイエス様を訪ねて質問したのです。

『良い先生。何をしたら、私は永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか』。 イエス様は、彼のことを彼自身よりも知っておられました。彼の心は、この世の物に執着していたのです。

それで『持っている物をすべて売り払い、貧しい人たちに分け与え、そのうえで、わたしに従いなさい』と言われました。そのように言われた彼は、悲しんでイエス様の前から立ち去ってしまいます。

私たちは、その指導者の悲しみを理解します。私たちも、自分が持っている物は大切だと思っているからです。

でもイエス様はここで、人の心が地上のものに執着して、本当に執着しなければならないものを掴みそこなってしまう危険性を指摘しておられます。でもそのような危険に陥ってしまう人が多いのです。

「永遠のいのちを受け継ぐ」、それは人の努力ではできないことです。

イエス様の処にやって来た指導者は、自分がこれまでの努力で手にしたものを手放すことができなかったために、その手で”永遠のいのち”を掴むことができませんでした。

それは、イエス・キリストの福音のすばらしさを教えられた者だけができることです。私たちは、すでにイエス・キリストの福音に生きる者とされたことを感謝します。

私たちは、さらに福音の宝のすばらしさを教えられて、この地上にあっても<永遠のいのちの平安>を握りしめたいものです。

皆様方の上に、さらなる主の祝福がありますように。 アーメン