
2024年05月22日(水)
<讃美歌>讃美歌333番「山辺に向かいて われ」
<聖書日課>ヨハネ20章19~23節「平安があなたがたにあるように」
何かに恐れを感じる者の心は平安ではありません。そして、平安な心の持ち主でなければ、イエス・キリストの福音を誰かに伝えることはできません。
イエス様が復活された日の夕方、弟子たちは不安に襲われていました。「イエス様が十字架で殺された。でも、復活されたイエス様に会ったという者もいる。これからどうなるんだろう」。弟子たちの不安は尽きません。
弟子たちの使命は、イエス・キリストの福音を世の人々に伝えることです。しかしその時の弟子たちの状態は、福音を伝えるどころではありません。
そのような弟子たちに平安を与えるために、イエス様が弟子たちの真中に立たれました。
イエス様は、二つの方法で弟子たちに平安を与えられました。
一つ目は、イエス様ご自身が生きていることを示すことによってです。確かにイエス様は、弟子たちの目の前で十字架で死なれました。間違いなく死なれたのです。
でも、そのイエス様ご自身が生きていることを弟子たちに示されることは、弟子たちが、その時まで「イエス様がキリスト」と思って従って来た事が間違っていなかった保証です。
もう一つは、弟子たちが聖霊を受けることによってです。聖霊を受けることは、三位一体の神が弟子たちとともにおられることを意味します。神がともにおられるならば、人は何を恐れる必要があるでしょうか。
ここでイエス様は、イエス様ご自身が死を打ち破って復活されたことを明確に知っており、その上で、聖霊を受けた者は、心は平安で満たされますと言っておられるのです。
この祈り会のメンバーである皆様方は、イエス様が復活され今も生きておられることを知っています。受洗した時に、聖霊を受けられました。ですから、皆様方は平安で満たされています。
でも私たちも、世の様々な喧騒の中で生活しています。世の様々な課題はあっても、私たちにはそれにまさる永遠の平安が与えられているのです。
弟子たちも、世の迫害の中にあって、平安に満たされて福音宣教に仕えたのです。
主は日々あなたに語りかけられます。「平安があなたがたにあるように」と。これからも、私たちは永遠の平安を与えてくださるイエス様に励まされつつ、主に仕えさせていただきましょう。
アーメン