2025年08月20日(水)

<讃美歌>讃美歌370番「静けき祈りの」

<聖書日課>ルカの福音書19章45~48節「大切な祈りの場」

イエス様が、エルサレムの宮で商売していた人たちを追い出された出来事は「宮清め」と呼ばれています。 それは、商売することが宮の本来の役目ではないからです。

イエス様は、商売人たちを追い出しながら「わたしの家は祈りの家でなければならない」と言われます。 イザヤ書にも『わたしの家は、あらゆる民の祈りの家と呼ばれるからだ』(イザヤ56章7節)と書かれています。

本来、エルサレム神殿の宮は、人々が神をほめたたえ神の祝福を願い求める祈りの場なのです。そこを人々は商売の場として自分たちの利益を得ていたのです。

イエス様はそのことに我慢ならなかったのです。イエス様は、ご自分への侮辱には忍耐されましたが、神の家が汚されることには聖なる怒りをもって応答されました。

その怒りは個人的な感情ではなく、神の神聖と礼拝の本質を守るための義なる憤りです。 そのようなイエス様の怒りに対して、祭司長たちや律法学者たちは、イエス様への殺意を強くしたのです。

彼らは、サンヘドリンと呼ばれる最高議会のメンバーであり、宮の権限を持っていました。彼らにとっては、イエス様の「宮清め」の行いは、自分たちの権威と面子を脅かすものと受け取ったのです。

また、神殿での商売は、彼らの利権とも結びついていたため、なお一層イエス様への殺意を強くしたのでしょう。その結果、彼らは神の国から離れて行ったのです。それはまことの悲劇です。

神の家でのイエス様の怒りは、私たちに警告を与えます。それは、私たちは「祈りの家を大切にしているか」との警告です。

私たちは、イエス・キリストを罪からの救い主と信じるクリスチャンです。クリスチャンは、祈りによって神に自分の願いを伝えて、恵みを受け取る者です。

あなたの祈りの場はどこにありますか? 教会の礼拝堂でしょうか?もちろん礼拝での祈りをおろそかにしてはなりません。

ではあなたは、日々の個人的な祈りの場を持っておられますか。それはどこですか?一日の生活を祈りをもって始めるのは良いことです。

その日の信仰生活を振り返り、主の恵みに感謝して、祈りをもって一日を締めくくるのは良いことです。そのような、あなたの祈りの場を大切にしてください。そこがあなたの祈りの家です。

もし今、あなたの信仰生活の中で<祈りの場>がないなら、是非祈りの場を作ってください。あなたの信仰生活は、あなたの祈りの家でささげられる祈りによって祝福されるのです。

あなたの祈りは、あなたがこの世の色に染まることから守り、あなたを神の祝福へと導くのです。 今日からの皆様方の祈りの生活が祝福されますように願っております。

アーメン