
=主の十字架の本当の苦しみを知るために=
マルコの福音書15章1~39節
イエス様がゲッセマネの園で捕らえられた時、ユダヤ人たちはイエスを死刑にするために協議しました。それでイエスをピラトに引き渡しました。
イエス様は、最初の質問に答えられた後は、一切お答えにはなりませんでした。
主は、すべてを父なる神に委ねられたのです。私たちは、何か訴えられた時、すぐに反論しますが、最も良いのはすべてを主に委ねることです。
ピラトは、これまで多くの犯罪人の命乞いの叫びを聞いて来た。しかし今ピラトは、イエス・キリストの無言のことばを聞かされていた。「お前は、わたしの内に救い主の姿を見ないのか」と。
ピラトは、イエスがねたみで引き渡されたことに気がつきイエスを釈放しようとした。
しかしピラトは群衆の声に負け、人を殺したバラバを許し、人を救ったイエスを死刑に定めた。ピラトは、イエス様に死刑の宣告を下したが、本当の死刑宣告を受けたのはピラトの方です。ピラトは永遠のいのちを獲得するチャンスを逃したのです。
ピラトは、イエスの十字架を負うことを拒みました。
人は、主の十字架を負うことを拒んだとき、永遠のいのちをつかみそこなうのです。
またシモンはローマ兵の命令で、イエスに代わって十字架を運ぶことになりました。
シモンは思ったことでしょう。「本当に運が悪い」と。シモンは運が良かった。
シモンはイエス様の十字架を運び、十字架刑にも立ち会い、十字架の愛のことばも聞いたのではないか。それでシモンは、イエス・キリストを信じたのです。
主の十字架を負うことによって、シモンは大きな恵みをいただいたのです。
今あなたは、イエス様のことばを聖書の中に聞いています。それを聞いて大胆に神様に近づくのです。神殿の幕が真っ二つに裂けたことは、人が神に近づくことが赦されたことを意味します。十字架の道。それは本来、あなたが歩くべき道です。その道を、イエス様が代わって歩いてくださった。
私たちは、イエス様の十字架の無言の声を聞き続け、日々の信仰生活を過ごしましょう。
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