
2024年3月6日(水)
<讃美歌>讃美歌393番「わが主イエスよ」
<聖書日課>マルコ11章15~19節「健全な信仰者」
イエス様はこの時、心の底から怒っておられます。それは商売人たちが、神聖な場所であるべき神殿の中で動物を売り、両替商を営んでいたからです。
彼らは、表向きは地方からエルサレムに巡礼に来る人々に、いけにえの動物を用意し神殿通貨に両替をしていますが、心は、自分たちの利益優先であり、そのために神の権威を利用していたに過ぎません。
イエス様は、それが我慢ならなかったのです。 イエス様の言動を振り返りますと、
・宮の中で商売している者を追い出された。 ・店の台や腰掛をひっくり返された。 ・宮を通って物を運ぶことを許されなかった。
・「神殿は、あらゆる人の祈りの家と呼ばれなければならない」と教えられた。 ・商売人たちは、神殿を強盗の巣にしていると非難された。
イエス様は、神殿が<強盗の巣>に化している状況を見て心を痛められたのです。イエス様の怒りは<健全な怒り>です。
もう40年ほど前になりますが、教会でバザーをしました。バザーの目的は、
・教会の会計状況の好転に寄与するため。 ・多くの人に教会の中に入っていただき、教会の敷居を低くするため。 ・教会員がそれによって一致できる。 等、いろいろ言われます。
しかしながら、私は虚しさを覚えました。神をまったく敬わない人たちが、ただ安くて良いものを得たいがために、目の色を変えて我先に、物色している姿に虚しさを覚えたのです。
イエス様の怒りもそこにあったのです。イエス様は信仰者の模範です。
だから、クリスチャンも怒るときがあっても構いません。 ただ、次のことを心しなければなりません。<健全な怒りは、健全な信仰からしか出てこない>のです。
教会にはいろいろな課題が生じます。私たちはそれについて怒りの感情を抱くこともあります。その時ちょっと立ち止まって、私の怒りはイエス様の怒りと同じだろうかと思い巡らすことは大切です。
どんな時でもイエス様に目を向ける。それが健全な信仰者として成長する秘訣です。
これからも、八鹿教会の一人ひとりが、イエス様に倣って健全な信仰を持ち続けられますように願っております。
アーメン