<讃美歌>讃美歌374番「頼りまつる わが主よ」  

<聖書日課>マタイ18章6~9節「信仰生活の秘訣」

若い人地が良く歌う讃美歌に「御手の中で」という歌があります。

『み手の中で、すべては変わる感謝に~~』とのことばで始まります。

クリスチャン生活は、常にイエスの御手の中にいる生活である と言ってもよいと思います。

マタイ18章の冒頭で、イエス様は弟子たちに「天の御国では、どのような者が一番偉いか」を話されました。それは、4節にあるように「子どものように、自分を低くする者である」と言っておられます。

つまり謙虚な者です。人は、謙虚な人と話をするとき、何か教えられる思いがします。

逆に、高慢な人と話をしていると「私はこんな人にはなりたくない」と心で思ってしまうのではいでしょうか。

イエス様は、今日の箇所で”つまずき”について語っておられます。

『つまずきをもたらす者はわざわいだ』(7節)と言われています。

信仰の浅いクリスチャンの方々に、またこれからクリスチャンになろうとしておられる方々に

つまずきを与える一つは<高慢>ではないでしょうか。

もしクリスチャンである私たちが、信仰の弱い人に高慢な態度で接した時、相手の人は

「こんな人がクリスチャンなのか、」と言ってつまずかないでしょうか。

イエス様は、そのような人は『大きい石臼を首にかけられて、湖の深みで溺れ死んだほうがましです』と言っておられます。8節と9節では、人をつまずかせる原因となるものは、必ず取り除くなさいと言っておられます。もし私たちの内に<高慢>の罪があるのなら、取り除くべきです。

ただ、私たちの罪は、私たち自身では取り除くことはできません。

罪は、取り除くものではなく、取り除いていただくものです。

どのようにすれば、私たちは自分の罪を取り除いていただけるのでしょうか。

それが、「イエス様の御手の中に」いる時に除かれるのです。

イエス様の御手の中の生活。それは、すべてを主に委ねる生活です。いつもイエス・キリストのことを思う生活です。

そのようにするときに、イエス様はあなたの心を支配してくださり、あなたを謙虚な者としてくださり、

結果的に、あなたは他の人をイエス・キリストに導くものとされます。

そのようなあなたが、人をつまずかせるようなことは決してありません。

主にすべてを委ねる生活、それが「信仰生活の秘訣」です。

あなたが、これからもイエス・キリストにすべてを委ねられて、主から大きな恵みをいただけるように願っております。

アーメン