2026年01月07日(水)
<讃美歌>讃美歌307番「まぶねの中に」
<聖書日課>エペソ人への手紙3章14~21節「人知を超えたキリストの愛」
16節でパウロは、神の御霊が私たちの内に働いて強めてくださるように祈っています。
そしてパウロは、この箇所で人の生きる目標は、私たちが「神の満ち溢れる豊かさにまで満たされること」(19節)であると言っています。
そのためにはパウロは、私たちが「人知をはるかに超えたキリストの愛を知る必要がある」(19節)と語っています。 そのようなキリストの愛とは、どのような愛でしょうか?
一言で言えば、イエス・キリストの十字架の愛です。私たちは、イエス様の十字架を余りにも簡単に考える傾向にあります。
イエス様は、ご自分が天の御国におられたのに、敢えて罪が満ち溢れる地上に降りて来てくださり、罪まみれになっている人間の罪を赦すために十字架について死んでくださったのです。
パウロはそのことをピリピ人への手紙の中で次のように言っています。
『キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。
人としての姿をもって現れ、自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました』。(ピリピ2章6~8節) 私たちは、このキリストの姿を、もっと切実に受け止めるべきです。
まずイエス様は、① 神である栄光を捨ててくださいました。 ② 人間と同じ姿になってくださいました。 それだけでも考えられないことなのに、
③ 人として自らを低い者として生きてくださり、 ④ 十字架の死にまで従ってくださいました。 その恐るべき従順を、私たちこそもっと謙虚になって教えられなければなりません。
今、私たちはイエス様とは違って罪人であり、神の栄光も持っていませんが、他の人の前で、より身分の低い者として過ごす必要はありません。十字架につく必要もありません。
それはイエス様が、私のために「身分の低い者の謙虚さを貫いてくださり、十字架で血を流してくださったからです」。
しかし私たちは、「イエス様が、私を天の御国へ導くために、十字架で死んでくださった事実」を忘れてはなりません。
それをしっかりと覚えるとき、あなたは「人知をはるかに超えたキリストの愛」を教えられるのです。
どうかあなたが、これからの地上の人生を、イエス・キリストにあって謙虚な者とされますように祈っております。 アーメン