<讃美歌>讃美歌394番「主よ終わりまで」  

<聖書日課>ルカ12章4~12節「人が恐れるべきもの」

人は、この世において、いろいろなものをおそれます。暴力、貧困、病、自然災害など、不安なことは幾らでもあります。

ウクライナではロシア軍が残虐な行為を繰り返しています。西側諸国はロシアが核兵器を使用することを恐れています。

確かに戦争犯罪は憎むべき行いです。でも主は、ここでそのような残忍さをも恐れる必要はないと言われます。

この箇所では、人が恐れるべきものの定義が示されています。人が恐れるべきことは、「ゲヘナに投げ込まれること」であり、人はその権威を持っておられる方を畏れなければなりません。

この世は、永遠のいのちを知ろうとしないために、まことに畏れるべき方を見失っています。

人にとって大切なものは、財産でもなければ、名誉でもありません、ちょっとオーバーに言えば肉体のいのちでもないのです。

財産や名誉で永遠のいのちを獲得することはできませんし、肉体の健康が永遠のいのちを保証するわけでもありません。

イエス様は、4節で私たちに優しく語りかけていてくださいます。「わたしの友であるあなたがたに」と。私たちはイエス様から「友」と呼ばれる資格のない者です。

あのパウロでさえ、自身のことを「イエス・キリストのしもべパウロ」と紹介しています。しもべとは奴隷のことです。 神のひとり子であるイエス様が、私たちを”友”と呼んでくださるのです。

私たちはそのような方を恐れるべきです。また、イエス・キリストを世に遣わしてくださった父なる神様を恐れるべきです。

なぜなら、すべての人は死後に神様の前に出て審判を受けなければならないからです。

世の人は、神様の愛を知りません。神様の力を知りません。知ろうともしません。心の目が隠されているからです。だから、人の子(イエス・キリスト)をそしることばを使うのです。

しかし、私たちクリスチャンは、すでに信仰の恵みのうちに入れられた者として、神様の愛も神様の力も知っています。

その私たちがイエス・キリストをそしることばを使うことは、生ける神(聖霊)をけがすことです。(10節) 主は、私たちを憐れんでくださり、私たちのすべてを知っていてくださいます。(7節)

私たちこそ、「殺したあとで、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れる」(5節)べき者なのです。

今日から、私たちは信仰者として、ますます恐れかしこんで主なる神様に従う者とさせていただきましょう。その時、主はあなたにすべての必要なものを備えてくださいます。(12節)

アーメン

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