<讃美歌>讃美歌402番「うれしき恵よ」

<聖書日課>ヨハネ13章31~35節「互いに愛し合う」

イスカリオテ・ユダが部屋から出ていきました。イエス様を祭司長/律法学者たちに売るために出て行ったのです。イエス様はそれを黙って見送られました。これで、イエス様の十字架がますます決定的なものとなったのです。

しかしキリストの十字架は、父なる神様がアダムとエバが罪を犯したときからご計画された”人類救済計画”の完成の時です。その神様のご計画を実現することは、イエス様にとって栄光を受けることです。

また、神様もイエス様の十字架によって、ご自身の計画が実現することで、栄光を受けられるのです。

今イエス様は、十字架に向かって歩んでおられます。すべての人の罪を赦すために歩んでおられるのです。

一人の人が、他の人のために死ぬ。これは何という大きな愛でしょうか。

その大きな愛を私たちに示してくださったイエス様が、遺言のように弟子たちに言われました。「互いに愛し合いなさい」。愛には、忍耐や自己犠牲が伴います。

「自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう」(ルカ6章32節)と言われている通りです。

私たちは、互いに愛し合っているでしょうか。愛には条件はありません。

ある牧師が言いました「条件付きの愛は、憎しみの別名である」。

では、人はどうすれば人を愛することができるのでしょうか。「人を愛してくださった方を見上げることです」。私たちクリスチャンは、イエス様に倣う者です。

イエス様が私を愛してくださった愛に心から感謝するときに、人は他の人を愛するようになるのです。

イスカリオテ・ユダは、イエス様に背を向けたために、主を裏切る者となってしまいました。

八鹿教会の一人ひとりは、私の救い主イエス様をしっかりと見続けて、互いに愛する者へと変えられましょう。

その時、私たちは主の栄光を現すものとされるのです。

アーメン

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