2025年06月25日(水)

<讃美歌>讃美歌333番「山辺に向かいて われ」

<聖書日課>ルカの福音書9章37~43a節「不信仰な曲がった時代」

イエス様は、ペテロとヤコブとヨハネの三人の弟子を連れて山に登り、そこでご自身の姿が変わり、モーセとエリヤと語り合っておられる姿を三人に示されました。それでイエス様が山から下りて来られると、イエス様を待ちわびていた大勢の群衆が迎えました。

すると一人の父親が、叫びました。「先生、お願いします。息子を見てやってください。霊が取りついています。お弟子たちに霊を追い出してくださいとお願いしたのですが、できませんでした」と。

イエス様は、その父親のことばを聞いて「不信仰な曲がった時代だ」と嘆かれました。何が「不信仰な曲がった時代」なのでしょうか?

悪い霊を人から追い出すことは、神の権威に基づいて行われる奇跡です。

以前ルカの福音書9章1節で、弟子たちはイエス様から権威を授けられて各地の村へ派遣されたとき、病人を癒し悪霊を追い出した経験があります。

それで今回も、弟子たちは自分たちの力で、その息子から悪い霊を追い出せると思ったのでしょう。弟子たちは、そのような悪い霊を追い出す権威の源が神であることを十分に理解していなかったのです。

またその父親も、マルコの福音書9章22節では「おできになるなら、私たちをあわれんで助けてください」と言って、イエス様に対する確信が揺らいでいた様子がうかがえます。

そのような人々のイエス様への信仰が揺らいでいる様子を嘆いて、イエス様は「不信仰な曲がった時代」と言われたのです。

今私たちは、まったく「不信仰な曲がった時代」に生きています。しかしそのような時代だからこそ、私たちは神の権威に従う者の姿勢を示さなければならないのです。

イエス様が、私の罪を十字架で血を流して赦してくださった感謝をもって、喜んでイエス・キリストに従うのです。 その時、私たちの周りの人々は、私たちを見て「神の偉大さに驚嘆する」(43節)のです。

今日からの私たちの信仰生活が、神の権威に基づいたものとして、平安に満ち溢れますように祈っております。

アーメン