
<讃美歌>讃美歌131番「聖なる,聖なる,聖なる主よ」
<聖書日課>ヨハネ14章25~26節「三位一体の神」
4日の礼拝の後、ある人から「三位一体の神」について質問を受けました。
三位一体とのことばは、聖書の中には見つけることはできませんが、唯一絶対の神は、三つの位格を持っておられながら一つであることは、聖書全体を貫く真理です。
でも、三位一体の教理を人にすっきりと分かっていただけるように説明するのは、大変難しいことです。
イエス様も、最後の晩餐の席での惜別説教の中で、弟子たちに<三位一体の教理>を話しておられます。25節の「このこと」とは、実に三位一体の神の働きについてのことです。
23節でイエス様は、「わたしを愛する人を、父なる神はその人を愛し、”わたしたち” はその人のところに来る」と話されています。
ここでイエス様が言われた”わたしたち” とは、父なる神であり、イエス様であり、助け主なる聖霊です。
今イエス様は、このことを弟子たちに話しておられます。イエス様は、この後まもなく十字架について死に、復活され、天に戻られます。
しかしイエス様は、弟子たちに聖霊を天から遣わしてくださり、三位一体の神として弟子たちとともにおられます。そして、聖霊を受けた弟子は「すべてのことを教えられる」のです。(26節)
このすべてのこととは、神が人を天の御国へ導くために行われたすべてのことです。
そのすべてのことを教えられた人は、イエス様が話されたすべてのことを思い起こすのです。そのことは、その者が変えられることを意味します。
三位一体の神が、自分に何をしてくださったのかを、はっきりと教えられた者は、それまでのように罪の生活の中に留まることはできず、神様をよろこばすことをさせていただこうとするからです。
それはクリスチャンの喜びであり、何ものにも代えがたいすばらしい宝物です。
八鹿教会の一人ひとりが、さらに聖霊なる神(三位一体の神)に満たされ、クリスチャン生活の喜びを満喫されますように心から願っております。
アーメン
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