
<讃美歌>讃美歌451番「立てよつわもの」
<聖書日課>ルカ24章1~12節「一縷の望みと確実な希望」
イエス様の十字架によって、弟子たちの望みはまったく打ちのめされてしまいました。
弟子たちはイエス様が救い主であることは知っていましたが、どのような救い主であるかは理解していませんでした。 イエス様は、この限りある世においてイスラエルの国を再建する救い主ではなく、
後の世(神に属する世)において、ご自身に従う者に永遠のいのちを与える救い主だったのです。
イエス様が十字架で死なれた後の週の初めの日の朝、イエス様の墓へ行った女たちの行動は称賛されるべきです。12使徒たちはまったく意気消沈して墓へ行くことはできなかったのでしょう。
それでも女性たちは、イエス様が復活するとは思いもしなかったでしょうが、それまで先生と仰いていた方に、出来るだけのことはさせていただこうとして墓に向かいました。
その女たちの行動が、弟子たちの心の中に一縷の望みを起こさせました。
そして今や、その小さな望みは、確実な希望として私たちに永遠のいのちの平安を与えています。
八鹿教会は、その永遠のいのちの確実な希望を多くの方々に届けようと福音宣教に励んでいます。
何人もの方々に「イエス・キリストはあなたの罪を贖ってくださり、あなたに永遠のいのちを与えようとしておられます」と伝えています。
しかしながら、その多くの方々は私たちの呼びかけに耳を貸そうとはされません。 「やっぱりだめか」と思わされることは幾度となくありました。でも私たちはあきらめずに、一縷の望みを持ち続けましょう。
私たちは、求道者の方々に声をかけ続け、いろいろな集会に誘い続けてきました。
今は、その方がイエス・キリストを信じるようになるとは思えなくても、その方々と関係を持ち続けることは大切です。
墓に向かった女たちのように、あなたもイエス様に従う信仰を持ち続けるとき、主はあなたを励まし用い続けてくださいます。
そして、そのあなたの小さな一縷の望みが、確実な喜びとなってあなたに帰って来るときが与えられることでしょう。
今の八鹿教会に、信仰生活を復活された方々が与えられていることを感謝いたします。
主の指は動いています。
今は、一縷の望みでしかない私たちの希望も、きっと確実な希望と変えられる時が近づいています。
あなたの小さな望みが大きな喜びに変えられますように願っております。
アーメン
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