
<讃美歌>讃美歌238番「いのちの糧、主よいま」
<聖書日課>ルカ10章13~16節「キリストに従う二つの側面」
私たちは、クリスチャンとして二つの側面を持っています。
一つは、イエス・キリストの福音を宣べ伝える者としての側面です。もう一つは、イエス・キリストのことばに従う者としての側面です。
今日の箇所は、イエス様が70人の弟子たちを二人一組で周辺の町や村に送り出し、「神の国が近づいたこと」を語らせるために遣わされる時の、弟子たちへの励ましの言葉の最後の部分です。
弟子たちの宣教のことばに、素直に信じる人もいれば、反発する人もいたのです。むしろ、弟子たちは福音宣教の使者として、人々から反発されることの方が多かったのかもしれません。
70人の弟子たちは、ユダヤ人の町や村に遣わされました。しかし弟子たちは、同胞のユダヤ人から拒まれたのです。
それに対してイエス様は、「ユダヤの人々が見た神の力あるわざを、異邦人が見たなら、彼らは罪を悔い改めたであろう」と言われます。ここに示された、ツロとシドンの町は異邦人の町なのです。
私たちも、神の福音を周りの人々に伝えようとします。家族に、ご近所の人に、友人に、親戚に伝えようとします。しかしながら、私たちのことばは無視され、拒否され、反発されることが多くあります。
でもイエス様は、70人の弟子たちを励まされたように私たちをも励ましてくださいます。「あなたがたは正しいことばを伝えている。諦めずに語り続けなさい」と。
また私たちは、いつもイエス様のことばを聞き、それに聞き従わなければなりません。
もし私たちが、イエス様のことばを聞きながら、それに従おうとしないなら、神様の悲しみはどれ大きなものとなるでしょうか。 そのような者が、神様のご用のために役立つことはできません。
イエス・キリストに聞き従うことと、イエス様の福音のことばを宣べ伝えることは、車の両輪です。
一方だけが大切にされ、他方がおろそかにされれば、教会はまがった方向へ行ってしまいます。
一人ひとりの信仰者が、バランスよくイエス様のことばを聞き、イエス様に仕えるときに、教会はまっすぐ進むのです。
八鹿教会のお一人お一人が、これからもみことばによって励まされ、与えられた所で主に仕えられますことを祈っております。
アーメン
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