2025年03月05日(水)

<讃美歌>讃美歌71番「尊き主イエスの」

<聖書日課>マタイ6章1~6節「イエス様の苦しみ」

3月5日(水)は灰の水曜日です。四旬節が始まります。イエス様の受難が私の罪を贖うためであったことを思い感謝するときです。

イエス様は、いろいろな苦難を受けてくださいました。 あざけられ、いばらの冠をかぶせられ、唾をかけられ、むち打たれ、最後は十字架につけられ、槍で脇腹を刺されたのです。

でもイエス様にとってもっとも辛かったのは、本来イエス様を敬うべき者たちから受ける無理解ではなかったでしょうか。

パリサイ人や律法学者は、聖書に精通している人たちであり、神のご計画を人々に伝えるべき者です。彼らは神の愛を理解せず、神を利用して自分の利益を得ようとした。

イエス様も6章1節で「人に見せるために人前で善行をしないように気をつけなさい」と言われます。私たちも、パリサイ人や律法学者を「自分勝手な人たちだ」と言って非難します。

しかしその非難は、ブーメランのように私たち自身に帰って来ることはないでしょうか。 私たちも口では「私はクリスチャンです」と言いながら、隠れた所では世に迎合するようなことはないでしょうか。

日曜日には礼拝を守るために教会に来ますが、それ以外の日は世の人になっていないでしょうか。

マタイの福音書6章1~6節でイエス様が言っておられることは、「あなたはいついかなる時であっても、主の前に謙虚になりなさい」ということです。

主の前に謙虚になるとは、いつもイエス・キリストを第一として、イエス・キリストの栄光を現すことです。

人はイエス様から目を離したとき、自分の栄光を現す者となってしまうのです。 そして人が神の愛を忘れ、自分の栄光を追い求める者になるとき、イエス様の苦しみは増していくのです。

四旬節はイエス様の受難を覚えるときですが、私たちは神の愛/イエス・キリストの愛に感謝する時として過ごさせていただきましょう。

皆様方の上に、主の祝福が豊かでありますように、

感謝して、  アーメン