
2023年12月20日(水)
<讃美歌>讃美歌5「来たりませ 主イエスよ」
<聖書日課>マルコ9章9~13節「イエス様、ありがとうございます」
クリスマスの時は喜びの時です。すべての人の救い主がお生まれになったことを祝う時ですから。
しかし、その救い主イエス様が地上にお生まれになった本当の理由を知った時、人は心の底から「クリスマスおめでとうございます」と言えるでしょうか。
イエス様は、ペテロとヤコブとヨハネの三人を連れて高い山に登られ、そこで御姿が変わりモーセとエリヤが現われて話をされている様子を、三人の弟子たちに見せられました。
モーセとエリヤは、旧約聖書の律法と預言者の代表であり、その二人とイエス様が話をされたことは、これから、聖書に書かれていることがイエス様の上に実現することを暗示しています。
でも弟子たちは、イエス様が言われた「死人の中からよみがえる」とのことばを理解できませんでした。
それで三人の弟子たちは、山の中で見た光景を思い出したのでしょう。彼らは「なぜ、律法学者たちは、まずエリヤが来るはずだと言っているのか」とイエス様に質問したのです。
確かにマラキ書に「預言者エリヤをあなたがたに遣わす」(マラキ4:5) と書かれています。しかしイエス様は「エリヤはすでに来たのです」と言われます。それは、バプテスマのヨハネのことです。
イエス様は、バプテスマのヨハネがエリヤとしてすでに現われ、人々は彼に好き勝手なことをしたと言われる。
そのことは、「人々が、ヨハネに対しておこなったことを、人の子(イエス様ご自身)にも同じようにする」と言われているのです。
ヨハネは、牢獄の中でまったく不条理な理由で首をはねられて殺されました。同じように、イエス様もまったく不条理な理由で殺されるのです。
しかし、その不条理の中に神の愛があるのです。
人は、自分の罪のために滅ぶべき存在ですが、イエス様が不条理な理由で十字架について殺された故に、私たちに、永遠のいのちが与えられたからです。
クリスマスは、私に永遠のいのちを与えるために、不条理な理由で殺されるために、地上に生まれてくださったイエス様に感謝するときです。
世の中では、まったく何も知らない人々がクリスマスを楽しんでいますが、私たちクリスチャンは、感謝を持って「イエス様、ありがとうございます」と言って過ごしたいものです。
アーメン