
2025年2月26日(水)
<讃美歌>讃美歌371番「いつくしみ深い」
<聖書日課>ルカ17章1~4節「つまずきの危険性と互いを愛し合う愛」
イエス様は弟子たちに「つまずきが起こるのは避けられません、‥」と言われます。つまずきとは、神に対する罪です。
ここでイエス様は、「クリスチャンは、少しぐらいは罪を犯しても仕方がない」と言っておられるのではありません。
この世の実生活の中では、信仰を守り通すためのいろいろな障害があります。
ここでイエス様は、弟子たちに信仰のつまずきがあることを改めて確認させ、それにつまずく危険性について語っておられます。
イエス様は言われます。「これらの小さい者たちの一人をつまずかせるより、ひき臼を首に結び付けられて、海に投げ込まれる方がましです」。
そのような死に方は、苦しくて無残な死に方です。でもイエス様は、つまずきの結果はそれほど危険なものだと警告されています。
私たちは、世の中につまずきがあることはよく知っています。でも「つまずきは、それほど危険なものである」と理解しているでしょうか。もし理解しているならば、何が何でもつまずきを避けようと注意します。
それでイエス様は、私たちに勧めておられます。「兄弟が罪を犯したなら、戒めなさい。そして悔い改めるなら、赦しなさい」と。
他の兄弟姉妹が、罪を犯しているのに気がついたら注意する。そして反省するなら赦すこと。そのことは、私たち自身を罪のつまずきから遠ざけるのです。
人は、他の人の悪いところにはすぐに気がつきますが、自分の罪にはなかなか気がつきません。それは私たちも持っている弱さです。
私たちは、自分の弱さも認めて、人の弱さに優しく注意することが必要です。それは、互いを愛し合う愛からしか出てこないものです。
八鹿教会の皆様方が、これからも互いに愛し合い、至らないところを優しく注意し合って、信仰者として成長されますように願っております。
アーメン