2025年10月15日(水)

<讃美歌>讃美歌354番「主をほめたたえよ」

<聖書日課>マタイの福音書10章5~15節「ただで受けたのですから、ただで与えなさい」

イエス様は、12弟子たちを「イスラエルの家の失われた羊たち」のところに派遣されました。失われた羊とは、律法主義や形式主義に陥って神との関係を見失っている人々です。

そのような人々は、心が閉ざされており、霊的に福音を聞こうとしないのです。そのような人々のところへ弟子たちは遣わされました。

弟子たちが携えていくメッセージは「天の御国が近づいた」です。このことばは、ユダヤ人の間では悔い改めを促すことばとして知られています。

バプテスマのヨハネも「悔い改めよ、天の御国が近づいた」(マタイ3:2)と人々に勧めました。

このことばを聞く時、ユダヤ人は神の支配が近づいたことを教えられ、救い主キリストの到来を思い起こすのです。

 イエス様は、まさにキリストが到来したことを告げるように弟子たちを遣わされたのです。それでイエス様は、弟子たちに言われます。「あなたがたはただで受けたのですから、ただで与えなさい」と。

弟子たちは、自分の意志や努力によってではなく、神の憐れみによって選ばれ、神の恵みによって “ただで”神の福音を信じる者とされたのです。

神の福音は、何ものにも代えがたい高価なものですが、ただで与えるべきものなのです。それで弟子たちは、福音のメッセージを携えてユダヤ人の家々に出て行きました。

その時、弟子たちは病人を癒し、死人を生き返らせ、悪霊を追い出す権威も与えられました。それは彼らが、神から遣わされた正しい者であることを証明するものです。

 私たちも、神の福音のメッセージを携えて各地に派遣されています。 そのメッセージは、「イエス様は、私の罪を十字架で赦してくださった。それを信じる者は天の御国へ入れてくださる」です。

それは、永遠のいのちのメッセージであり、何ものにも代えがたいものです。

私たちも、そのメッセージをただで与えられました。 イエス様は、私たちにも「ただで受けたのですから、ただで与えなさい」と言われます。

そして、私たちの信仰が正しい者であることを証明するために、私たちの愛、誠実さ、喜びを携えて人々のところに派遣されているのです。

そのことを心から感謝して、これからの信仰生活を過ごさせていただきましょう。 感謝して、 アーメン