
2024年05月15日(水)
<讃美歌>讃美歌370番「しずけき祈りの」
<聖書日課>ヨハネ16章16~24節「しばらくすると」
イエス様は告別説教の中で「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなりますが、またしばらくすると、わたしを見ます」と言われます。
このことばは、イエス様がまもなく十字架にかかって死なれること、そして三日後に復活されることを指して言われたことばです。
しかしながら、弟子たちはイエス様が十字架で殺されるとはまったく考えられなかったため、イエス様のことばをまったく理解できませんでした。当然、復活のことは知る由もありません。
でも、その出来事は確実に起こりました。イエス様の十字架の死によって、弟子たちは悲しみ、イエス様の復活によって弟子たちは喜びました。
私たちの信仰生活においても、喜びと悲しみは常にあります。時には、信仰者であるがゆえに悲しまなければならないことがあります。親子の関係がぎくしゃくすることがあります。
友人やご近所の方々から偏見の目をもって見られることもあります。それは、悲しみのときです。しばらくの間、あなたは忍耐しなければなりません。
その時、あなたはしばらくの間、主の訓練を受けているのです。主は見ておられます。「神は真実な方です。‥試練とともに脱出の道も備えていてくださいます」。(Ⅰコリント10章13節)
そうです。しばらくすると、主はあなたを悲しみから救い出してくださいます。
主があなたを救い出す方法はさまざまです。祈っている方が救われることによって、あなたの悲しみが取り去られることがあります。 あなたの周りの方々の偏見が取り去られることも起きるでしょう。
また、あなたご自身が主によって変えられることにより、悲しみが消えることもあります。そして間違いなく、主があなたの悲しみを取り去られるときには、あなたの心は喜びで満たされます。
しばらくの間、悲しみはあなたの前にエリコの城壁のように立ちはだかっています。あなた一人の力では、その悲しみの城壁を打ち破ることは到底できません。
主は、あなたに言われます。「わたしに頼りなさい。わたしに従いなさい」と。 主に素直に従う時、難攻不落のエリコの城壁は崩され、あなたは喜びで満たされるのです。
私たちの地上の生活には、悲しみが数多くあります。しかし、それはしばらくの間続くだけです。やがて最終的には、私たちは悲しみのまったくない、天の御国で永遠の喜びに満たされます。
そして「この希望は失望に終わることがありません」。(ローマ5章5節)
これからも、私たちは遣わされた所で、主に期待して過ごさせていただきましょう。
アーメン