
<讃美歌>讃美歌172番「造りぬしを ほめたたえまつれ」
<聖書日課>マタイ17章14~21節「からし種の信仰」
一人の男性が、「息子の病を癒して欲しい」とイエス様のところにやって来ました。
その男は、「お弟子たちにお願いしたけれども、出来ませんでした」と訴えています。
その訴えにイエス様は、「あゝ、不信仰な、曲がった世だ。」と嘆かれています。
イエス様は、「正しい信仰があればできるはずだ」と言っておられます。
また「もし、からし種ほどの信仰があったら、この山に『ここからあそこに移れ』と言えば移るのです」と言われています。
『山を移す』とは、ユダヤ人の慣用句で「困難な問題を解決する」との意味です。
皆さんは「からし種」を見たことはありますか? からし種にも数種類あるようですが、私が見せていただいたのは、長さが3mmほど、太さは髪の毛よりも細く、色は真っ青な種でした。
まさに、「吹けば飛ぶような」種でした。その種が良い地に蒔かれれば、成長して、鳥が巣を作るほどに成長するのです。(マタイ13章32節)
私たちも、一人ひとりいろいろな祈りの課題を抱えています。
それこそ、誰のも言えないような課題を抱え、一人静かに祈ることしかできずに悩みます。
そのような私たちに、イエス様は「からし種の信仰を持ちなさい」と言っておられます。
「からし種の信仰」。それは小さな信仰です。でも生きている信仰です。
私たちがからし種の信仰をもって祈るとき、主は必ずその願いを聞いてくださいます。
『何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です』(Ⅰヨハネ5章14節)。 この約束があるからです。
そして神様は、そのように祈る私たちを通して、ご自身の栄光を世に現わされ、私たち自身をも、小さなからし種から、空の鳥が来て巣を作るような大きな木に成長させてくださるのです。
イエス様は弟子たちを含めて、「あゝ、不信仰な、曲がった世だ。」と嘆いておられます。
私たちも、まだまだ「不信仰な者」ですが、この世にあって、イエス様のために光り輝けるようなからし種になりたいものです。
アーメン
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