2025年03月12日(水)

<讃美歌>讃美歌374番「たよりまつる わが主よ」

<聖書日課>ルカ21章34~22章6節「いつも目を覚ましていなさい」

イエス様はここで「あなたの心の目をいつも覚ましていなければ、天の御国に入れません」と言っておられます。私たちの日常生活には、様々な誘惑があります。そして私たちは誘惑に弱い者です。

誘惑とは、あなたをイエス・キリストから引き離すものです。 誘惑についてイエス様は21章34節で「放蕩や深酒や生活の思い煩い」と言っておられます。

それらの誘惑によって、私たちの心の目がイエス様から離れたとき、私たちは救い主が見えなくなるのです。救い主が見えなくなった者は、イエス・キリストの再臨の時に絶望に追いやられてしまいます。

福音書記者ルカは、そのような誘惑に負け、絶望に陥ってしまった人物の例として12弟子のひとりイスカリオテ・ユダを挙げています。ユダは、イエス様に反対する祭司長たちのところへ行って、金をもらいイエス様を引き渡す約束をしたのです。

イエス様は、そのような者について「人の子を裏切るその人はわざわいです。そういう人は、生まれて来なければよかったのです」(マタイ26章24節)と言われました。

誘惑は、人を盲目にします。イエス・キリストを見えなくするのです。その結果、そのような人は再臨の時に裁き主の前に立つことができなくなります。

イエス様は、あなたがそのようにならないために「いつも目を覚まして祈っていなさい」と言われます。

私たちはいつも目を覚ましているでしょうか。「いつも目を覚ましている」とは、常に心の目をイエス様に向け、イエス・キリストをあなたの罪からの救い主として信じていることです。

「祈っている」とは、あなたの信仰生活が順境の時は神への感謝を忘れず、逆境の時は信仰が守られるように神に頼ることです。

イエス様は、すべての人が「いつも目を覚まして祈る」ことを望んでおられます。そのために、エルサレムの宮でいつも教えておられたのです。

イエス様は、今も私たちに聖書のみ言葉をもって教えておられます。イエス様が私たちに望まれることは、目を覚まして聖書のみことばに従い続けることです。

そのような者が、最後の審判の時に人の子の前に立つことができるのです。あなたの信仰生活が、目を覚ましている生活でありますように願っております。

アーメン