2023年10月29日(日)

=あなたが神の恵みを深く受けるために=

<福音書>マタイ22章34~46節

『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』。イエス様はパリサイ人の「重要な戒めは何か」の問いに、この戒めを答えられました。

そして更に『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』を加えられました。パリサイ人たちは、神を愛していると言いながら、人を愛することはしなかったのです。

神を愛しながら人を愛せないのは矛盾です。神への愛は、人への愛に結びつくのです。なぜなら、神は人を愛されたからです。

それでイエス様は、彼らに『キリストはだれの子ですか』と問われました。彼らは「ダビデの子です」と答えます。

ダビデの子としてのキリストを待ち望むことの内には、王権をもってイスラエル王国を再建するメシヤへの期待があります。

それでイエス様はさらに問われます「ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるのに、何故キリストはダビデの子ですか」と。

イエス様は「パリサイ人たちが、メシヤは神であると理解すれば<霊的メシヤ観>を持ち、イエス・キリストを受け入れることができる。

しかし彼らは、メシヤはダビデの肉による子孫であるという理解から出発するために、政治的なメシヤ観になってしまう」と言われたのです。

イエス・キリストは、人に肉的な満足を与えるために世に来られたのではなく、霊的ないのちを与えるために来られたのです。

肉的満足を求める者は、<自分を起点として物事を判断する>傾向になります

パリサイ人たちは、努力により自分を起点として神を見たために、神との正しい関係に入れられなかったのです。

それゆえ彼らは、神からの最も大きな恵みであるイエス・キリストが分からなかったのです。

“自分を起点として神の恵みを受けようとする傾向”は私たちの内にも残っています。それ故私たちは、一層<神を起点とする恵み>に生かされなければなりません。

その恵みを教えられたときに、私たちは、聖霊によって「キリストは私の主」と呼ぶことができ、私たちは神との正しい関係の中に入れられるのです。

人の究極的な目的は、神から義と認められ、神との正しい関係に入れられることです。そのために私たちは常に<神を起点とする恵み>に生かされなければなりません。

あなたが、ただ神の恵みに頼る時に、あなたの前に天の御国への道が大きく開かれるのです。