2023年10月8日(日)

=イエス・キリストの上に立ち続けるために=

<福音書>マタイ213346

たとえ話の農夫がぶどうの木の世話を任されたように、祭司長や長老たちはイスラエルの民にみことばを語り、人々を神の民として成熟させなければなりません。

しかし彼らは、ぶどう園を正しく管理することを忘れ、主人のしもべたちを迫害したのです。そのような彼らに、イエス様は言われます。『家を建てる者たちが捨てた石、それが要の石となった』。

家を建てるためには、土台をしっかりと据えなければなりません。でも専門家たちが吟味して捨てた石が、別の家の要石となったのです。

家を建てる者たちが建てるべき家。それは神の家です。神の家は、神が望まれるように建てられなければならなりません。

神は、イスラエルの民が良い実を結ぶために、宗教的指導者たちに神のみことばを人々に教えるように命じられました。でも彼らは、人々を誤った方向に導いてしまった。

その結果、農夫たちは主人の息子をぶどう園の外で殺しますが、イスラエルの宗教的指導者は、キリストをエルサレムの町の外に連れ出して十字架につけて殺すのです。

それ故、父なる神は神の家を建て上げる特権を、宗教的指導者から取り上げ、教会の民に与えられたのです。

またイエス様は、このたとえ話を弟子たちにも語っておられます。弟子たちは、家を建てる者たちが捨てた石であるイエス・キリストを要石として、その上に建て上げられた<新しい家の民>です。

教会の民です。私たちのことです。そのことは、この“悪いぶどう園の農夫”の話が、今でも起こり得ることを示しています。

神は、今もぶどう園を造って、その管理を私たちに任せて旅に出ておられます。神はあなたに問われます。「あなたのぶどうの木には、実はなっているか。あなたのぶどうの実は甘いか」と。

私たちが、自分のぶどうの木に甘いぶどうの実を実らせるために、守らなければならないことは、立つべき要石を間違えずに、イエス・キリストの上にしっかりと立ち続けることです。

互いに励まし合いながら、信仰の要石であるイエス・キリストの上にしっかりと立ち続ける時、私たちは良い実を結ばせていただけるのです。