2024年09月29日(日)
=あなたがキリストの証人となるために=
<福音書>マルコ9章38~50節
小さな行いであっても“キリスト者だから”ということで行うのは、知らずに行うのとでは意味が違います。その行いが、神への奉仕と見なされるのか、そうでないのかの違いです。神は、ご自分への小さな奉仕を忘れられず、必ず報いてくださいます。
しかし神の報いは、その人の善行に相応しいものとして与えられるのではありません。神は、信仰と服従によって神のみこころを行った者のわざを覚え、豊かな恵みのゆえに、報酬としてではなく、恵みとして報いてくださるのです。
またイエス様は、人をつまずかせることの恐ろしさについて語られました。なぜイエス様は、そのようなことを言われたのか。そのような風潮が教会の中に入ってくる危険性があるからです。
12弟子たちでさえ、自分たちの中で「だれが一番偉いか論じ合っていた」のです。 人は神の前に謙虚さを忘れたとき、人の上に立とうとして、相手につまずきを与えることがあります。
イエス様は、人をつまずかせるならば、厳しい神の刑罰を受けることになると警告されているのです。 それでイエス様は言われます。
もし一方の手や足がつまずきの要因であるなら、それを切って捨てなさい。もし一方の目がつまずきの要因であるなら、それをえぐり出して捨てなさい。
大きな犠牲を払っても、つまずかせるものから解放され、永遠のいのちにあずかる方が価値があるのです。 それでまず、人はつまずきの行為を行わせる心を解決しなければなりません。
世には誘惑は多くありますが、私たちはイエス・キリストから離れまいとする強い決意をもって、つまずきの原因を取り除くことが重要なのです。
ではイエス様は「一所懸命がんばって、つまずきの要因を取り除くことが大切です」と言われるのでしようか。いや、イエス様は、私たちに「塩気を保ちなさい」と言われる。
塩気は、クリスチャンがクリスチャンとして生きるために欠かすことはできません。塩気は<クリスチャンの香り>です。
しかしクリスチャンは、信仰歴が長くなれば自動的に良い香りを放つようになるわけではありません。
主は言われます『人はみな、火によって塩気をつけられます』。火は試練です。人はさまざまな試練を通して、キリスト者として成長させられるのです。
塩には三つの特質があります。
第一の特質は、腐敗を防ぐことです。キリスト者は、イエス様につながっているがゆえに腐敗せずに良い実を結びます。神の試練によって塩気をつけられたキリスト者は、決して腐ることはありません。
塩の第二の特質は、味をよくすることです。塩気のないクリスチャンは、信仰者として魅力がありません。神の試練によって、神をより身近に感じ、より充実した信仰生活を過ごさせていただくのです。それが、あなたのクリスチャン人生の味が良くされることです。
塩の第三の特質は、常に人の喉を渇かすことです。喉が渇いた者は、水を慕い求めるように、たましいの渇きを覚える者は、主のみことばを慕い求めます。
神の試練によって与えられた塩気は「もっとイエス・キリストを知りたい」とのたましいの渇きを起こすのです。
このように神は、あなたをより成熟したクリスチャンとするために、様々な試練を与え塩気を付けられます。
主はあなたに問われます。「あなたは腐敗せずに良い実を結んでいますか。あなたはより魅力的な味を出していますか。あなたは常にたましいの渇きを覚えていますか」と。
これからもあなたには、神の試練が与えられるでしょう。あなたは自分の力でその試練を乗り越えることはできません。
イエス・キリストがともに働いて下さるので、その試練を乗り越えることができるのです。そして、その試練によって、あなたはより香り高いクリスチャンとされるのです。