2023年11月5日(日)

=あなたがまことの幸いに生きるために=

<福音書>マタイ5章1~12節

ここで言われている“幸い”は、神を知ることによって初めて味わうことのできる幸いです。

・『心の貧しい者は幸いです』。<心の貧しい者>とは、自分が神の前に無一文な者であることを知る者です。その者は、すべてを神に頼る敬虔な者です。

・『悲しむ者は幸いです』。自分の罪の大きさを教えられて湧きあがって来る心の悲しみです。・『柔和な者は幸いです』。柔和な者とは、自分の存在自体がまったく神によることを知る謙虚な人です。

・『義に飢え渇く者は幸いです』。キリストを信じて義とされた者は、神の義がその者の生活を全面的に支配することを強烈に願うのです。

・『あわれみ深い者は幸いです』。私たちは神からの大きな憐れみを受けてきました。神から受けた憐れみを忘れない者が、憐れみ深い者とされるのです。

・『心のきよい者は幸いです。神を見るからです』。“心が清い”とは、神に誠実であることです。そのような者が、信仰によってイエス様を見るときに、父なる神が見えるのです。

・『平和をつくる者は幸いです』。神との平和はイエス・キリストによらなければ持てません。

・『義のために迫害されている者は幸いです』。迫害とは、人がイエス・キリストのもとに来ることを妨げる力です。そのため「義のために迫害されている者」とは、迫害を受けながらも、イエス・キリストのもとに来る者のことです。

これらのみことばによって、イエス様は私たち一人ひとりに問われます。

「あなたは心の貧しい者・柔和な者・心のきよい者・平和をつくる者ですか」と。イエス様は、あなたに「すべての条件を満たして欲しい」と願っておられます。

そして私たちは、この条件をすべて満たされた方を一人知っています。イエス・キリストです。

主は言われます、「わたしは、あなたを霊的な心の貧しい者に、柔和な者に、あわれみ深い者に、心のきよい者に、平和をつくる者にしよう」と。

あなたがイエス・キリストを見続け、イエス・キリストに聞き続ける時に、あなたはイエス・キリストに似る者として変えられ、世にあって<キリスト者の幸い>を経験するのです。