2024年10月23日(水)
<讃美歌>讃美歌394番「主よ、終わりまで」
<聖書日課>ヨハネ13章1~17節「足を洗い合う」
三年とも三年半とも言われる公生涯の間、イエス様はいろいろな教えを人々に語られました。
・人には罪があること。 ・罪を持ったままでは天の御国には入れないこと。 ・イエス様ご自身が人の罪を贖う救い主であること。 ・人は互いに愛し合わなければならないこと。
そしてイエス様は今、明日は十字架に着かなければならないという日の夕方、最後の晩餐の時に、弟子たちへの最も大切な教えとして<互いに仕え合う>ことを、身をもって教えてくださいました。
イエス様が弟子たちの足を洗われたのです。一人ひとりの足を丁寧に洗ってくださいました。人の足を洗うことは、屈辱的な仕事です。弟子であっても先生の足を洗うことはしません。人の足を洗うことは奴隷の仕事です。
では何故イエス様が弟子たちの足を洗われたのでしょうか。それが、イエス様が弟子たちに伝えようとされたもっとも大切なメッセージだからです。
人は「他の人に仕えるよりも、他の人に仕えて欲しい」と願います。しかしそのような者が、神の愛を伝えることはできません。
なぜなら、神はひとり子であるイエス様を、ご自分に逆らう罪人のために、人に仕える者として地上に遣わしてくださったからです。
イエス様ご自身も、『人の子も、仕えられるためではなく仕えるために、また多くの人のための贖いの代価として、自分のいのちを与えるために来たのです』(マルコ10章45節)と言われています。
ですから神の愛は、<人に仕え、神のために生きる者>でなければ伝えることができないのです。
あなたは他の人の足を洗うことができるでしょうか。それは、その人を主のみもとに導くために、ともに悩み、ともに苦しみ、ともに忍耐することを要求するかもしれません。
それは人にはできないことです。でも主は言われます。「神にはできないことはありません」。
私たちも、忍耐の限りを尽くして人に仕えてくださった神に仕える者として、イエス・キリストを見続け、互いの足を洗い合う者として福音宣教に仕えたいと願っています。
八鹿教会の一人ひとりが、これからも互いの足を洗い合い、互いに仕える者とされますように祈っております。
感謝して、 アーメン