2023年10月4日(水)
<讃美歌>讃美歌331番「罪の深みに」
<聖書日課>マタイ9章2~8節「罪の赦しの権限」
この話は、マルコの福音書やルカの福音書では、中風の患者が4人の友人によって運ばれてきたが、家の中に大勢の人がいたため中に入れず、屋根をはがしてイエス様の前につり下ろした出来事です。
マタイは、そのような屋根をはがしたことには一切触れず、イエス様が<罪の赦しの権限>を持っておられることに集中して記しています。
中風の人が運ばれて来た目的は、中風の病を癒してもらうためです。しかし、イエス様がその患者に言われたことは「あなたの罪は赦された」です。
イエス様は、この人の表面的な問題(中風)を癒すことよりも、より根本的な問題である罪を解決する方が大切であることを示されたのです。
また、イエス様はご自分を取り囲んでいる人々の中に、律法学者たちがいることもご存知でした。それでイエス様は、律法学者たちの病をも癒そうとされました。
律法学者たちの病。それは、イエス様を神の権威を持っておられる方として認めないことでした。律法学者たちが「この人は神を冒瀆している」とは、罪を赦す権威は神以外に持っていないとの思いから出ています。
その思いは正しかったのですが、彼らはイエス様が神の権威を持っておられる方であることを知らなかったのです。イエス様は、そのことを彼らに教えようとされました。
それでその当時は、病は罪の結果だと思われていたため、律法学者たちの目の前で、イエス様は中風の者に「起きて寝床を担ぎ、家に帰りなさい」と言われました。
この出来事は、人々にとって、イエス様が罪の赦しの権威(神の権威)を持っておられることの証拠でした。そのため、人々は「このような権威を人にお与えになった神をあがめた」のです。
ただ、律法学者たちは、この事実を目の当たりにしても、イエス様が神の権威を持っておられることを認めようとせず、かえって敵対心を燃やして行ったのです。
このことによって、私たちは「イエス様を正しく神の権威を持っておられる方、いや神ご自身であることを正しく知っているか」と問われています。
私たちも、みことばから教えられて、イエス様を神としてあがめて日々の信仰生活を過ごさせていただきましょう。
また「あなたの罪は赦された」と言い続けてくださるイエス様に、更なる感謝をいたしましょう。
アーメン