2025年05月21日(水)

<讃美歌>讃美歌346番「はかりも知られぬ」

<聖書日課>ルカの福音書10章25~28節「神の愛」

私たちは、ここに人の高慢さとイエス様の愛を見ます。

律法の専門家は「立ち上がって、試みる目的で」イエス様に質問を投げかけました。この”立ち上がる”ことは何かに対抗することであり、”試みる”ことは相手を見下すことです。

律法の専門家はこのような質問をしました。『何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか』。もちろん律法の専門家は、自分なりの答えを持っています。

それは「人は、律法の決まりごとを守ることによって永遠のいのちを受け継ぐ」というものです。律法の専門家は、この質問をすることによって、イエス様の律法に対する姿勢を試そうとしたのです。

それでイエス様は、そのような律法の専門家の思いを知った上で、敢えて律法を用いて答えられました。『律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか』と。

イエス様はこのことばで、「あなたは律法に書かれていることはよく知っているが、律法が語っている真意を読み間違えている」と言われたのです。

それで律法の専門家は、自分の知識を自慢するように二つのみことばを挙げました。『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』。『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』。

さすが律法の専門家です。イエス様の質問に的確に答えました。

しかしイエス様は、その律法の専門家を憐れんで、次のように忠告されます。『あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます』。

律法の専門家は、何をすれば永遠のいのちを受け継ぐことができるのかをよく知っていました。でも知っているだけでは役に立たないのです。

律法の専門家は、それを実行することができなかったのです。何故、実行できなかったのでしょうか?

一番の原因は、神を愛することができず、神の前に高慢であったからです。高慢であったので、イエス様が神であることに気が付かず、イエス様を試そうとしたのです。

そして神を愛することができないので、隣人を自分自身のように愛することもできなかったのです。 神はこのみことばによって「主の前に謙虚な者でありなさい」と私たちに語っておられます。

イエス様は”山上の説教”で人々に教えられました。『まず神の国と神の義を求めなさい』。(マタイ6章33節)  これからも私たちは、与えられたすべてを尽くして、私たちの神、主を愛する生活を過ごさせていただきましょう。

そのときあなたは、ますます「隣人を自分自身のように愛する者」と変えられるのです。それが、あなたに与えられる<神の愛>です。

あなたの信仰生活の上に、主の祝福が豊かでありますように。

アーメン