
<讃美歌>讃美歌412番「父の神、このわれを」
<聖書日課>ルカ13章22~31節「天国に入る戦い」
イエス様は「努力して狭い門から入りなさい」と言われました。狭い門は、天の御国に入るための門です。 また、ここで用いられている<努力する>とのことばは、強いことばです。一般的には<戦う>と訳されることばです。
天の御国に入るためには、戦わなければならないのです。戦いに勝利した者だけが救われ、天国に入るのです。しかしながらこの戦いは、狭い門がそこにあって、何人かでそれを奪い合う争いではありません。
そこにはたくさんの門があります。広い門、狭い門、豪華な門、みすぼらしい門等、いろいろな門が私たちの目の前に置かれています。
イエス様が言われる戦いは、「どの門がいのちに至る門かを見分ける戦い」です。(マタイ7章13,14節)
残念ながら、人はどの門がいのちに至る門かを見分ける力を持っていません。そのことは、人は誰一人として、どの門がいのちに至る門かを見分ける戦いに勝てないことを意味します。この戦いは信仰の戦いなのです。
イエス様の時代に、天の御国に近いと見られていた人たちはパリサイ人や律法学者たちです。彼らは文字通り、自分たちで<努力して>天の御国を勝ち取ろうとしていました。
彼らは、何百とある律法の要求事項を守ることによって、天国に入ろうとした人たちです。まさしくパリサイ人や律法学者たちは、先頭を走っている人たちだったのです。
そして、世の多くの人々が彼らに倣って<努力して>天の御国に入ろうとしています。
イエス様は、彼らはのことを「家の主人が、立ち上がって、戸を閉めてしまってから、戸の外で「ご主人様。開けてください」と叫ぶ者たちだ」と言われています。(25節)
また、彼らのことを「不正を行う者たち」と強いことばで叱責されています。(27節) では、だれがこの信仰の戦いに勝利して、狭い門を見い出すのでしょうか。
そのためにイエス様は、「町々村々を次々に教えながら旅を続けられた」のです。(22節)
イエス様は「わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます」(ヨハネ10章9節)と言われています。 信仰の戦いに勝利することは、イエス・キリストに頼ることです。
このことは、私たちクリスチャンであれば、すでに教えられて知っていることです。しかしながら、クリスチャンであっても弱さを持っている者です。
私たちは、<天国に入る戦い>に勝利するために、イエス・キリストを見続けるのです。
そのとき、あなたに代わってイエス様が戦ってくださり勝利してくださいます。
アーメン
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