2024年10月02日(水)

<讃美歌>讃美歌394番「主よ 終わりまで」

 <聖書日課>マタイ18章6~10節「人を救いへと導く幸い」

ここでイエス様は、人につまずきを与えることの罪の大きさについて語っておられます。人をつまずかせるとは、人をイエス・キリストから引き離すことです。

枝が幹から離れれば枯れてしまうように、人がイエス・キリストから離れれば、その者のたましいは滅んでしまいます。

イエス様は、そのように他の人のたましいを滅ぼすようなことをする者は、「大きな石臼を首にかけられて、海の深みに沈められるほうがよいのです」と言われます。

「手や足、また目がつまずきの原因となるなら、それを切って捨てた方がよい」と言われます。誰も海の深みに沈められたり、からだの一部が切り捨てられることを望む者はおりません。

でもイエス様は、まだその方が「永遠の火に投げ込まれるよりよいのです」(8節)と言われます。 あなたが「永遠の火に投げ込まれる」とは、あなたのたましいが永遠の滅びに定められることです。

ここでイエス様は、「あなたが、他の人をつまずかせるようなことがあってはなりません」と言っておられます。

しかし人は罪深い者です。他の人の大きな悩みよりも、自分の小さな傷の方が気になります。そのような者が、どのようにして<永遠の火>から逃れられるのでしょうか。

そのような罪深い者が、どのようにして<永遠のいのち>に入れていただけるのでしょうか。主は言われます。『御使いたちは、天におられるわたしの父の御顔をいつも見ている』(10節)。

そうです。私たちも天を見上げなければなりません。しかし私たちは、父なる神を見ることはできません。それでイエス様が天の御国から地上に降りて来てくださったのです。

私たちは、イエス様を見て、イエス様の話を聞いて、天の神がどのようなお方なのかを教えられるのです。

父なる神は、人が永遠の滅びから永遠のいのちへ移されるために、イエス様を地上に遣わしてくださいました。イエス様は、ここで「あなたの心を、地上の関心事からご自身に向けなければ天の御国に入れない」と言っておられます。

そして、そのようにいつもイエス・キリストを見続ける者は、その心が常に喜びで満たされ、決して人をつまずかせることはないのです。

いや、そのようなあなたは、<他の人を救いへと導く幸いな者>として、これからも主からの大きな祝福を与えられるのです。

あなたの信仰の歩みが、これからも主の祝福によって満たされますように祈っております。

アーメン