<讃美歌>讃美歌71番「とうとき主イエスの」
<聖書日課>ヨハネ13章21~32節「キリストの苦悩」
イエス様は、12弟子たちと約3年間ともに過ごし、彼らが福音宣教の担い手となれるように訓練されてきました。 しかし、こともあろうにその12弟子の中から、イエス様を裏切る者が出たのです。
イエス様は、すべての人の罪を赦すために、ご自身が贖いのいけにえとなるために地上に降りてこられました。 そのことも大変辛いことです。
その上、ご自身の十字架刑の引き金となる者が、12使徒の中から出たのです。 イエス様の無念さは察して余りあります。
しかし、イエス様はその無念さをも受け入れてくださり、ユダに「あなたがしようとしていることを、今すぐしなさい」と言われました。
そのことばには、これが父なる神のご計画を成就する道であるなら、その辛さをも受け入れようとされるイエス様の従順が見られます。 イエス様は、ご自分の思いよりも神の思いを優先されたのです。
しかし私たちは、そこにイエス様の愛を見なければなりません。イエス様の苦しみは、私の罪を赦すためだからです。そしてそのことにより、イエス様は父なる神から栄光を受けられます。
イエス様はご自分を犠牲にして、十字架の苦しみにも従われるからです。 またイエス様は、十字架で死ぬことを通して、父なる神の栄光を現わされます。キリストの十字架の死は、神がご計画されたからです。
私たちもイエス様の弟子です。もし、私たちがイエス様を裏切れば、主はどれほど苦しまれるでしょうか。 それは、私たちがもう一度イエス様を十字架につけることに等しいのです。
讃美歌に「ユダにはなるまい、わが主よ‥」とあります。ユダは、この世のものに心を奪われ、主を裏切りました。
私たちは、この世のものを見ず常にイエス・キリストを見ていれば、決して主を裏切ることはありません。
今週は受難週です。イエス様が、私の罪を赦すためにどれ程苦しんでくださったのかを覚えるときです。そのために、私たちはイエス・キリストから目を離してはなりません。
その時に、あなたは神からの大きな祝福を受けるのです。 これからの信仰生活、皆様方の心の目が、まさにイエス・キリストに釘付けにされますように願っています。
アーメン
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