2026年10月11日(日)

=あなたが神に選ばれていることを自覚するために=

【要約】<旧約>出エジプト記32章1~20節

実にイスラエルは、主に従うことにおいて“強情”な民でした。そのような人々を山のふもとに残し、モーセは神の山(シナイ山)に登りました。

モーセが山から降りてくるのが遅いからと言って、どうして“偶像礼拝”の罪を犯すのか。主は常にあなたを見ておられ、あなたの心の中の叫び声も聞いておられます。それであなたの必要に応えてくださいました。

イスラエルの民はそれを経験してきたはずなのに、いやまさに今も毎朝マナを与えられているはずなのに主を忘れた。それでアロンは金の牛の像を造ってしまった。イスラエルの民は“神の恵”を忘れた。

人は恵みの中で生かされることに慣れてしまったとき、恵みが恵みではなく当たり前になってしまう。だから人々の心から「神への感謝が消え、信仰が弱まり、偶像が入り込む」のです。

私たちも家族が守られ、健康が支えられ、教会生活もそれなりに続けている。いつの間にか、それが当たり前になっている。それは信仰の危機です。

危機感が薄れたとき、人は「自分が神の恵みの中に生かされていることを忘れ」ます。主は人を愛してくださいますが、罪に対しては厳しい方です。

イスラエルの民が金の子牛の像を造り、それを伏し拝み、祭壇まで作って戯れた。主はモーセに言われます「わたしの怒りが彼らに向かって燃え上がり、わたしが彼らを絶ち滅ぼす」。

主の怒りは、愛する者に裏切られた痛みです。あなたも主に愛された者です。私たちも主に愛された者として「誠実な信仰生活を送ります」と契約を交わした民です。心しなければなりません。

さてモーセは“主の激しい怒り”を知って必死にとりなしました。モーセの祈りで、主はイスラエルの民への災いを思い直されました。何故でしょうか。モーセが、神の“ご性質”に基づいて祈ったからです。

主はいつでも正しい判断をされます。そして主は最初からすべてを知っておられました。主は初めから、イスラエルの民が契約を破ることも、そのまま放置すれば彼らを滅ぼす以外に方法がなくなることも知っておられました。

だから主は、モーセを「とりなしの祈りをさせるため」に選んでおられたのです。詩篇106篇23節に「神に選ばれた人モーセ」ということばがあります。

神はモーセを、神とイスラエルの民との関係の破れの前に立たせるためにも選ばれたのです。神はご自身のために“とりなし手”としてモーセを選び、とりなしの祈りをさせられたのです。

また32章32節に『もしあなたが彼らの罪を赦してくださるなら‥。しかし、もし、かなわないなら、どうかあなたがお書きになった書物から私の名を消し去ってください』とあります。

モーセは民のために、自分を犠牲にしようとしました。 そのことは、私たちにイエス・キリストを思い起こさせます。

モーセはイスラエルの民の罪の赦しのために、自分のいのちを差し出そうとしましたが、キリストはすべての人の罪の赦しのために、ご自分のいのちを実際に差し出し、十字架で血を流してくださいました。

この時のモーセは、神と人とのとりなしをすることにおいてキリストの型(タイプ)です。

私たちも「選ばれた者」です。一義的には天の御国に入る者として選ばれましたが、誰かのために“とりなす者”としても選ばれています。

あなたの周りに、あなたが主にとりなすべき方は何人もおられるでしょう。その方々のために、主にとりなすことのできる人はあなただけかもしれません。

あなたが、誰かのために“とりなす者”とされるために、主があなたに期待されています。 ①主の前に立つ時間を聖別すること。信仰生活の中で、みことばの時間/祈りの時間を取り分けることです。

②恵みを当たり前としないことです。主への感謝を忘れた者が、他の人のためにとりなすことはできません。 ③誰かのために立ち上がり、祈ることです。

主はあなたにも、誰かのためにとりなすことを期待しておられます。それが<神に選ばれた者>として、あなたが歩むべき一つの道なのです。