2026年09月09日(水)
<讃美歌>讃美歌424番「この世のつとめ いとせわしく」
<聖書日課>マタイの福音書21章18~22節「信仰による祈りの力」
葉があるばかりで実を結んでいないいちじくの木は、表面ばかりを装い、主のみこころを行わないユダヤ人を表しています。
ユダヤ人たちは、人の評価ばかりを気にして律法を表面的に守るばかりで、主のみこころである「すべての人に救いを伝える」ことをおろそかにしていました。
にもかかわらず彼らは、「私は主に誠実に仕えています」と言わんばかりに、葉ばかりを茂らせていたのです。
そのような者たちが、いくら「主よ、私の願いを聞いてください」と祈ったところで、その祈りが聞かれるはずはありません。
イエス様は言われます、『信じて祈り求めるものは何でも受けることになります』。(21章22節) このイエス様のことばで最も大切なことばは<信じて>です。
ですから「信じて祈り求める」とは、「正しい信仰に基づいて祈るのであれば」と言う意味です。
正しい信仰の持ち主は、主の栄光が現わされることを第一の願いとします。自分の欲しいものを願い求めることはしません。それは、主の恵みによって与えられるものだからです。
私たちも勘違いしていないでしょうか。私たちもユダヤ人たちのように、自分の願いばかりを祈り求めていないでしょうか。
イエス様は”山上の説教”でこのように教えられました。『まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます』。(マタイ6章33節)
祈りにおいて、まず求めるべきは「主の栄光が現わされること」です。主は、私たちの必要をすべてご存じです。私たちが、正しい信仰に基づいて祈るとき、主は、私たちの目の前に山のようにそびえる<大きな困難>も解決へと導いてくださるのです。
これからの私たちの信仰生活が、主を第一とした生活であり、正しい姿勢で主に祈り続ける生活であることを願っています。
皆様方の今週一週間の祈りが、実り多いものでありますようにお祈りいたします。
アーメン