2026年08月30日(日)

=あなたが試練の中に、主を見る者となるために=

【要約】<旧約>出エジプト記7113

Ⅱ、主はなぜ災いを与えられたのか

ファラオは、その頑なさゆえに、イスラエルの民を去らせることを拒み続けます。そのようなファラオを、主は哀れに思われ、ご自身の権威と力を示すために<神の試練>として災いを送り続けられました。

主は、彼らがご自分のところに戻ることを願われたのです。そして主は、私たちクリスチャンにも“試練”を与えられます。

Ⅲ、ファラオとモーセの姿勢

ファラオは、災いが“主のわざ”であると知りながら、一時的には「イスラエルの民を去らせる」と了承しますが、災いが過ぎると前言を取り消し、頑なな態度に戻ってしまう。

それでファラオの心が固くなればなるほど、神のしるしも強くなったのです。そのことは、ファラオに対する神の愛と忍耐の現われです。

しかしファラオは、その神の愛と忍耐の現われを、神の嫌がらせとしてしか受け取れなかった。神は災いを通してファラオに語りかけられます。「わたしが主だ。わたしに従え」と。

その神の声を、心の耳で聞くことのできなかったところにファラオの罪があったのです。

いつの間にか、あなた自身が“ファラオ”になっていませんか。あなたの生活の中でイエス・キリストの占める位置が、徐々に隅の方に追いやられていないでしょうか。

主はそのようなあなたを、もっとご自分の近くに導きたいと願っておられます。

説教のことばによって、他の兄弟姉妹方の口を通して、またある時は“試練”という苦しみを与えることによって、神はあなたに語りかけられます。あなたは、そこで語られる“神のことば”を正しく聞き分けなければなりません。

一方モーセは、ファラオとは対照的に弱い者でした。しかしモーセは、そのような弱さを抱えながらも主に従ったのです。

強がって主のことばに逆らったファラオは弱くされ、自分の弱さを知りつつも主に従ったモーセは強められたのです。

初めから強い者は誰もおりません。また完全に強くされた者も一人もおりません。

私たちは弱さを持った一人の信仰者ですが、忠実に主に従おうとする者は、失敗を繰り返しながらも信仰者として強められ、主のご用にために用いられるのです。

Ⅳ、私たちの試練と神の“しるし”

あなたがこれからも、主に導かれて地上の生涯を過ごしたいと願うなら、あなたには必ず“試練”が与えられます。あなたが信仰者として<御霊の実>を結び、主に用いられる器とされるためにです。

Ⅴ、人の頑なさと従順

困難な状況の中で神に心を閉ざす者は、その困難を“災い”としてしか受け取れません。しかしながら困難な状況が深ければ深いほど、神の語りかけも深まるのです。

そしてあなたが神の声を聞いたとき、困難は試練(神のしるし)へと変わるのです。

ファラオは頑なに神の声を聞こうとしませんでした。それでも神は、ファラオがご自身の声を聞けるように、より大きな試練を与えられたのです。それはファラオに対する“神の愛”です。

一方モーセは弱いなりに神に従おうとしました。だからモーセは神の声を聞いた。だからモーセはその試練の中に神がおられるのを見たのです。

そうしてモーセは、試練を通して<主が主である>ことを教えられ、主の器として大きく用いられたのです。

主はすべての人に、ご自分が主であることを教えようとされています。それは、その者の生活が、神中心(イエス・キリスト中心)の生き方に改められるためにです。

また主は、クリスチャンにももう一段深いレベルで「ご自分が主である」ことを教えられます。それはあなたが、主がともに歩んでくださっていることを実感として体験して、主の栄光を現す者とされるためです。

もしあなたが、困難な状況の中に置かれたとき、是非このように祈ってください。「神様、私は困難な状況にいます。あなたはこの試練を通して、私に何を教えようとされているのですか」と。

主はあなたを更に成熟した信仰者とし、主の栄光を現わす器としようとしておられるのです。

そうしてより深いレベルで「主がであることを教えられた」あなたは、すべてのことが益とされることを実感として体験するのです。