2026年08月16日(日)
=あなたが信仰者として強くされるために=
【要約】<旧約>出エジプト記5章1~23節
Ⅱ、中途半端な信仰はどこかで失敗する(1~5節) : モーセはファラオに言います。「わたしの民を去らせ、荒野でわたしのために祭りを行えるようにせよ」と。ここにモーセの弱さが表れています。
モーセは「イスラエルの民を去らせよ」と言うべきところを「荒野で祭りを行えるように」と言い換えました。それは中途半端な従順です。主は忠実にご自分に従うことを求められます。
中途半端な従順は、必ずどこかで破綻します。結局自分自身を苦しめることになります。でも神はモーセを責められません。弱さは、神の恵みが注がれる場所なのです。
Ⅲ、失敗は、心を鍛える“聖なる教材” : モーセと会って、ファラオの心はますます頑なになり、イスラエルの民の状況は一層悪くなりました。イスラエルの民は、そのはけ口をモーセに持っていきました。
モーセの苦しみが目に見えるようです。モーセは主の命令によりファラオのところに遣わされ、結果は大失敗だった。主は見ておられなかったのか。いや一部始終すべて見ておられました。
主はモーセをよく知っておられました。でもモーセは主をよく知らなかった。
モーセは不十分な知識しか持っていなかったので、中途半端な従順しかできずに失敗したのです。しかし主は、そのようなモーセを訓練して“本物の従順”へ導こうとされました。そこに神の愛と忍耐があります。
モーセは落胆して「主よ、なぜ‥」と嘆きます。22節『主よ、なぜ、なぜあなたは私を遣わされたのですか』と。この嘆きこそ、主がモーセを“本物の従順”へと導く入り口だったのです。
失敗は、自分の弱さを明らかにします。そして主は、その弱さの中で「あなたを用いるのはわたしだ」と教えられるのです。
Ⅳ、主は弱さを抱えた者を用いられる : 私たちは“完全なモーセ”ではなく“弱さを抱えた小さなモーセ”です。私たちも日々の生活の中で、主に従い切れない弱い側面を持っています。
私たちは、どのように主に仕えれば良いのでしょうか。四つのことを教えられます。
まず①「弱さを隠さず、主の前に正直に立つこと」です。自分の弱さを隠さず、主の前に正直に出るのです。そこにこそ、主が私たちを強くする恵みが流れ込むのです。
次に②「恐れず、主のことばを語ること」です。モーセはファラオを恐れて、主のことばを言い換えました。私たちも弱さを抱えた信仰者です。私たちも「主よ、この者も強めてお用いください」と祈れれば幸いです。
三つ目は、③失敗を“主の訓練”として受け止めることです。私たちは失敗を恐れます。人の評価を気にするからです。恐れるべきは“神の評価”です。失敗は、主への従順を深めるための第一歩です。私たちは失敗を恐れず、主に従い続けたいものです。
四つ目は、④自分は「小さなモーセである」と自覚することです。モーセは“弱い者”でした。しかし主は、その弱さを通して働かれ、モーセを“偉大な指導者”とされました。
私たちも弱さを持っています。しかし主は、そのような私たちをも強くして用いてくださるのです。主は完全な者を求めておられません。不完全でもご自分に従い続ける者を求めておられます。
あなたがなすべきことは、「自分が小さなモーセである」と自覚し、主により頼むことです。
Ⅴ、結論 : ですから、あなたも弱い者であってよいのです。でも弱い者のままであってはなりません。主があなたを「強い者へと変えたい」と願っておられるからです。
自分の弱さをそのまま主の前に持って行ってください。主は弱さを責める方ではなく、弱さを通して働かれる方なのです。
あなたの弱さは、主がご自分の栄光を現わす場所です。モーセはすぐに強い者とされたのではありません。弱いながらも主に従い続けたので、強い者と変えられたのです。
あなたも自分の弱さを認めつつ、イエス・キリストを常に見上げる者であってください。そのとき徐々に、でも確実に強くされ、あなたは主の栄光を現す者と変えられるのです。