2026年08月12日(水)
<讃美歌>讃美歌394番「主よ、終わりまで」
<聖書日課>マタイの福音書8章23~27節「ともにおられる主」
ひょっとしたら、私たちはイエス様のことを、まだほんの少ししか知らないのではないでしょうか。
私たちは、イエス様が「全人類の罪を赦すために地上に来てくださり、十字架について死んでくださった」ことを知っています。確かにそのことは、イエス様が成してくださった偉大な救いのわざです。
しかしながら私たちは、イエス様がもっと多くの側面を持っておられることを知りません。そして弟子たちも、日々イエス様と生活しながら、イエス様について知らなかったのです。
その時、イエス様は弟子たちとともに小舟に乗って、荒れ狂うガリラヤ湖の真ん中におられます。
弟子たちの中には、ガリラヤ湖の漁師だった者が何人もおります。彼らは舟の扱いには長けています。でもその時は、彼らでさえも手に負えないほど湖は荒れていました。弟子たちは慌てました。
その様子は、弟子たちのことばに表れています。「主よ、助けてください。私たちは死んでしまいます」。
その時イエス様は何をされていたのでしょうか。イエス様は、揺れ動く舟の中で寝ておられました。ではイエス様は、その時の弟子たちの様子を何もご存じなかったのでしょうか。
イエス様はすべてをご存じでした。弟子たちが必死で、舟が沈まないように操っているのも、一所懸命入ってきた水をかき出しているのも、「溺れて死ぬのではないか」と恐れているのも見ておられました。
その弟子たちにイエス様は言われます。『信仰の薄い者たち』。その時イエス様は敢えて弟子たちの前で寝ておられました。
その時、イエス様は弟子たちに語っておられます。「わたしが一緒にいるではないか。何故、恐れるのか」と。それでイエス様が起き上がり、風と湖を叱りつけると凪になったのです。
慌てふためく弟子たちの姿は、私たちではないでしょうか。
私たちの周りでは、さまざまな嵐が吹き荒れています。人間関係の嵐は、私たちの神経をすり減らします。経済的な嵐は、心を不安定にします。病の嵐は、私たちの肉体に苦痛を与えます。その時、私たちは弟子たちのようにただ恐れて叫ぶだけでしょうか。
主はあなたに語っておられます。「わたしが一緒にいるではないか。何故、恐れるのか」と。
私たちの周りの状況がどのようなものであれ、私たちは、常にイエス・キリストがともにおられることを知らねばなりません。その時あなたの心は、イエス様に叱りつけられたガリラヤ湖のように、まったく平安な状態にされるのです。
これからのあなたの心が、常に平安でありますように祈っております。
アーメン