2026年06月14日(日)

=あなたが天からの希望に生きるために=

【要約】<旧約>創世記372131828, 36

Ⅰ、神の摂理は人間の罪によって妨げられない

ヨセフは父親に甘やかされて育ちました。偏愛は罪です。罪は憎しみを生み出します。10人の兄たちは、ヨセフを憎み穏やかに話すこともできません。

しかし,主は彼らの罪をも用いられました。罪によって彼らを裁くためではなく、愛する者を救いへと導くためです。

どんな家庭であっても弱さや罪が潜んでいます。でも、弱さや罪があることが問題ではありません。家庭の中に、希望を与える主を見出すことができないのが問題です。

ヤコブ/ヨセフ/兄たちの中に、私たちは主を見出すことはできません。しかし主はヤコブの家庭を見ておられます。そしてヨセフは夢を見ました。

兄たちや両親までもがヨセフを伏し拝む夢です。それで兄たちは、ますますヨセフに対して憎しみを増大させます。主はご自身が選び出した者をいつも見ておられます。

そのような罪の家庭の中にあっても、神のご計画は決して妨げられることはありません。むしろ人間の罪性をも用いて、主はご計画を進められるのです。

Ⅱ、罪は決して正当化されない

・ヤコブはヨセフを偏愛しました。それで家族が崩壊しました。 ・ヨセフは甘やかされました。それで兄たちは彼を憎み、ついに奴隷として売り飛ばしました。

にもかかわらず、主はそれらすべての人々の罪をも用いて、彼らを強くして民族の基礎を築かれました。

主は罪を用いられましたが、罪は容認されるべきものではなく、裁かれるべきものです。そのためにイエス様が十字架で血を流してくださったのです。

Ⅲ、神の摂理を知る者の応答

ヤコブの家庭には罪があふれていましたが、私たちはそこに“神の摂理”を見る者として「主に正しく応答すべき道がある」ことを知らねばなりません。

私たちは誰をも、主にあって愛する者でありたい。 私たちはみことばによって成熟した信仰者でありたい。 私たちは、憎しみにも神の愛で応える者となりたい。 私たちの教会は“愛と喜びと平安”が満ち溢れる教会でありたい。

それが、神の摂理を知る者の応答ではないでしょうか。

Ⅳ、摂理を知る者は、苦難の中で練られる

さてヨセフは、奴隷として売られました。ここに私たちは“神の配慮”を見ます。ヨセフは“主の器”とされるために、つくり変えられねばならなかったのです。

主は選ばれた者を、苦難の中を通らせて訓練されます。 ヨセフは、平安の実を結ぶために、主によってエジプトに導かれ、訓練を受けることになったのです。それは“神の摂理”です。

それは私たちに“信仰者として歩むべき道”を示します。主はあなたを訓練し、有用な“義の器”として用いられます。へブル書は言います。『父が訓練しない子がいるでしょうか』と。(へブル12章7節)

Ⅴ、摂理を知る者は、壊れた家族の中でも希望を持つ

神の栄光を現す者とされるために、私たちもつくり変えられねばなりません。それによって、私たちは壊れた家族の中においても、悪い環境の中においても、希望を持つ者とされるのです。

は罪深い家族を用いてイスラエル民族の歴史を始められ、その中から、すべての人の永遠のいのちの希望であるイエス・キリストを生まれさせてくださいました。

イエス・キリストは私たちの罪のために自らを差し出してくださった。イエス・キリストは全人類を救うために十字架の苦難を受けてくださった。

今日のみことばは、私たちの弱さや問題も、主の御手の中で変えられて、主の栄光を現わすために用いられるという希望を与えます。

問題があること自体は問題ではありません。問題は、あなたが神の摂理を知っている者として、遣わされた処で希望をもって歩んでいるかということです。

問題だらけの人間であっても、主はその者をつくり変えて、ご自身のご計画を進められます。でもその事実は、「私たちが問題だらけのままでよい」と言っているのではありません。

だからこそ私たちには「神を恐れ、希望をもって愛に生きよ」という応答が求められています。

主にある希望を持って歩む」こと。それはあなたにとって、好きになれない人の救いのために祈る生き方かもしれません。

そのような中で、主は働いてくださり、私たちを、ある時は“愛と忍耐”をもって、ある時は“厳しさ”をもってつくり変えてくださり、将来の希望を与えてくださるのです。