2026年06月10日(水)

<讃美歌>讃美歌392番「主よわが心を」

<聖書日課>マタイの福音書12章1~8節「安息日の主」

人は決まりごとを作るのが好きです。「~~しなければならない」とか「こうすべきだ」とのことばはよく聞きます。

確かに、地上の社会で互いを尊重して生活するためには”決まりごと”は必要です。しかしながら、人が”決まりごと”を強調する余り、神の領域まで侵すことは許されません。

パリサイ人たちは、あまりにも律法を強調したために、律法本来の目的を見失っていました。 律法は神をほめたたえるために定められたものです。

弟子たちは安息日に麦畑を通った時に、空腹を覚えていたために麦の穂を摘んで食べ始めました。

弟子たちはイエス様とともに歩き回り、各地で福音を宣べ伝えていたのです。 そのような弟子たちを見て、パリサイ人たちは「安息日にしてはならないことをしている」と指摘したのです。

安息日の中心は”規定”ではなく”キリスト”であり、キリストの心は”真実の愛”です。真実の愛とは、人が心から主に感謝して主に仕える想いです。

弟子たちが麦の穂を摘んで食べたのは、ただ単にお腹が空いたから食べたのではなく、イエス様に仕える中での”真実の愛”から出て来た一つの行為として食べたのです。

そのことをイエス様は「ここに宮よりも大きなものがあります」と言って、「ご自分に仕えることは律法の趣旨に反することではありません」と言われるのです。

そのことは私たちにも注意を与えます。「あなたはそれほどまでの愛をもってイエス様に仕えていますか」と。

「人の子は安息日の主です」。このことばは、日曜日だけ礼拝に出席して、他の日は自分第一に過ごしても良いと言っているのではありません。

一般的に働いてはいけないとされる安息日であっても、主に仕える働きが許されるのであれば、尚のこと、それ以外の日は、”真実の愛”を持ってイエス・キリストに仕えるのが本来です。

それがまさに、「人の子を安息日の主」とする信仰者の過ごし方です。

八鹿教会の皆様方が、これからも「安息日の主」であるイエス様に正しく仕えられますように願っております。  アーメン