2026年06月07日(日)
=あなたが祈りによって神と格闘するために=
【要約】<旧約>創世記32章1~12、22~30節
ヤコブの心は恐れに満ちています。今ヤコブは神のことばに従って、妻たちと子どもたちと多くの財産をもって父の国に戻る旅の最中です。そこには、自分を恨んでいる兄エサウがいます。
神の命令とはいえ、ヤコブの心は不安でいっぱいでした。エサウと会うことが不安でたまらなかったのです。
創世記32章を読みますと、主がヤコブをどのようにして恐れから解放し、ご自身の栄光を現す者へとつくり変えられたのか、そのプロセスが見えてきます。
ヤコブには、神の命令に従う中で恐れが起きています。つまり、①ヤコブの恐れは“偶然”ではなく、主がヤコブを導かれる中で起きています。これは、主がヤコブを訓練しようとしているサインです。
そして次にヤコブは、主に祈りました。②恐れがヤコブを祈りへと導きました。
祈りの中でヤコブは、主に呼びかけています。『あなたは、「わたしは必ずあなたを幸せにし、あなたの子孫を、多くて数えきれない海の砂のようにする」』と。(12節)
ここでヤコブは、神の約束に根拠を置いて祈っています。祈りの中でヤコブは、謙虚に自分の無力を認め、主の憐れみにすがったのです。
このヤコブの祈りは、恐れがなければ生まれなかった祈りです。主がヤコブの心に恐れを生じさせ、彼を祈りへと導かれたのです。
さてヤコブは、ヤボク川まで戻って来ました。ヤコブは所有物や家族も渡らせました。今ヤコブは、一人だけでヤボク川の手前に残っています。ヤコブは、エサウへの恐れのゆえに渡れずにいたのです。
すると24節『ある人が夜明けまで彼と格闘した』。ヤコブと格闘する中で、その人はヤコブのももを打って関節を外してしまった。これは、ヤコブの生涯においてもっとも重要な出来事です。
ヤコブと戦ったその人は“神”です。ヤコブは祈りました。11節『どうか、私の兄エサウの手から私を救い出してください』。その祈りに応えて、主はヤコブを恐れから解放するために彼と戦われたのです。
③祈りは、その者を<神との格闘>へと導きます。 神はヤコブを“打ち負かす”ためではなく、“変える”ために格闘されました。
神と戦う者は、必死になって神にしがみつきます。主は、ヤコブにこのように問いかけておられるようです。「おまえはまだ自分の力で生きるのか。それとも、わたしにしがみつくのか」と。
この時主は、ヤコブの太ももの関節を外され、ご自分に頼らざるを得ない状況に追い込まれたのです。ヤコブは勝つことができないと分かっていても、必死に“神”にしがみつきました。 “神の祝福”が欲しかったのです。
ヤコブは、父イサクから祝福されましたが、それは“騙し取った祝福”でした。だから今、ヤコブは必死に叫ぶのです『私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ』と。
それに応えて神は『あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ』とヤコブに新しい名を与えて祝福してくださった。
④神は、ご自身との格闘を通して、その者を祝福してくださいます。 神と戦う者は、神に委ねる者とされます。
神は、選ばれた者をつくり変えるために敢えて恐れを与えられることもあります。恐れを与え、祈りへと導き、さらに祈りによる神との格闘へと導き、その者を祝福されるのです。
主はあなたを、敢えて不安や恐れの中に置かれるときがあります。あなたが祈りによって“神と格闘”するためにです。神と格闘し、神にしがみつき、神に頼る者と変えられるのです。
主は、私たちにも言われます。「あなたの地、あなたの生まれた地に帰れ。わたしはあなたを幸せにする」。
“私たちの生まれた地”それは私たちが信仰者として生まれたところです。イエス・キリストです。
私たちが、恐れや不安によって、信仰の原点であるイエス・キリストが見えなくなっているとき、主は私たちをつくり変えるために、私たちを祈りによる格闘へと導かれます。
私たちが神と格闘する。それは祈りによって格闘するのです。祈りによって、主が祝福してくださるまで戦い続けるのです。私たちも<神にしがみつく者>とされるまで祈り続けるのです。
あなたが祈りによって“神と格闘”し主にしがみつくとき、主はあなたをつくりかえられます。そのようなあなたはが、遣わされたところで主の栄光を現す器とされるのです。