2026年03月04日(水)

<讃美歌>讃美歌388番「尊き血をもて」

<聖書日課>ヨハネの福音書7章53~8章11節「神の憐れみにすがる」

パリサイ人たちは律法にがんじがらめにされていました。彼らは、自分ではその事に気が付いていません。

パリサイ人たちは、エルサレムの宮で人々に話をしておられるイエス様のところに、姦淫の現場で捕らえられた女性を連れて来て、「モーセは律法の中で、こういう女を石打にするように命じています。あなたは何と言われますか」と問いただしました。

これはパリサイ人たちの罠です。イエス様が「石打にして殺せ」と言えば、ローマの法律に背き、「許しなさい」と言えば、モーセの律法に反することになるからです。

それでイエス様は、彼らの心の思いを見抜いて「あなたがたの中で罪のない者が、まずこの人に石を投げなさい」と言われたのです。

そのように言われれば、たとい日々厳格に律法を守っているパリサイ人であっても、「私にはまったく罪はありません」と言い切ることのできる者は一人もいません。

ですからパリサイ人たちは、誰もその女に石を投げられなかったのです。ここでイエス様は、パリサイ人たちに罪の本質を教えておられます。

パリサイ人たちは、罪を「律法の決まりごとに反する行い」としか捉えていませんが、イエス様は、罪は「父なる神の想いを知っておりながら、それを行わないこと」として語っておられます。

父なる神は、<憐れみの神>でもあります。それゆえイエス様は、この女性に「わたしもあなたにさばきを下さない」と憐れみをかけられたのです。

このイエス様のことばは、女性の犯した行為を軽視されたのではなく、神においては、「犯した罪に対する罰よりも、神の赦しが先に来る」ことを教えられたのです。

私たちも、自分が罪人であることは誰も否定できません。その私たちにイエス様は「わたしもあなたにさばきを下さない」と言ってくださいました。

それがイエス・キリストの十字架です。そこに福音があります。人は誰も、罪の裁きに会いたくありません。それでイエス様は「わたしにすがりなさい」と言われます。

姦淫の現場で捕らえられた女性は、きっとイエス様に感謝して、自分の罪を悔い改めたでしょう。

私たちも、十字架に示された神の愛にすがり、これからも主の福音に生きる者と変えられたいと願う者です。 そのような私たちを、主は大いなる祝福をもって用いてくださいます。

感謝して、 アーメン