2026年02月22日(日)
=あなたが更に主に近づくために=
【要約】<旧約聖書>創世記15章1~21節
アブラムは後継ぎが与えられないことを恐れていました。でも神は、彼の想いを受け止めて「あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がねばならない」と約束してくださいました。
アブラムは、信仰と現実との間で悩んだ結果、その悩みを神にぶつけました。私たちも、現実の問題の中で悩むことは多々あります。ですから私たちは、もっと祈りをもって“神と戦う”ことが必要ではないでしょうか。
アブラムは「神は真実だ。しかし自分の現実はどう見ても不可能だ」との狭間で苦しんでいました。だからこそ彼は沈黙せず、その葛藤を神に直接ぶつけたのです。
それは信仰の弱さではなく、神との関係が深い者だけができる“神との祈りの戦い”です。“祈りをもって神と戦う”ことは、信仰者が祝福を受ける道です。
「祈りをもって神と戦う」ことは、信仰者の成熟の道です。信仰者は祈りによって、恐れに立ち向かう力を受けるからです。祈りとは「神と本音で向き合う場所」です。
人は神の御心をすべて理解することはできません。だからこそ、悩み/ぶつかり/問いかけ/叫び/信じ続けるのです。
しかし「カナンの地をあなたに与える」と主に約束されたアブラムは、その保証が欲しかった。それでアブラムは、雌牛/雌やぎ/雄羊を持ってきて真っ二つに切り裂き、その半分を互いに向かい合わせにしました。
これは当時の契約方法です。契約を交わす当事者が、切り裂かれた動物の間を通って契約が成立します。契約を破った時は、真っ二つにされた動物のようになるのです。
アブラムが守るべきことは「主を信じる」ことです。神が守るべきことは「約束の地を与える」ことです。
それで『暗くなったとき、煙の立つかまどと、燃えているたいまつが、切り裂かれた物の間を通り過ぎた』。ここに“神の愛と忍耐”があります。
煙の立つかまど/燃えているたいまつは神ご自身の象徴です。それが切り裂かれた動物の間を通過したことは、神が契約を交わされたことを表しています。
しかしアブラムは切り裂かれた動物の間を通っていません。それでも『その日、主はアブラムと契約を結んで言われた』と書かれています。
この契約は、神の側の一方的な契約です。 その事実は、次の事を意味しています。
・この契約は、アブラムの側の条件によらないこと、 ・この契約は、神が一方的に責任を負うものであること、 ・アブラムが約束を守れなくても、神は約束を守ることです。
そして神は『もしアブラムによって契約が破られても、裂かれた動物のようになるのはわたしだ』と宣言されているのです。
さらに突き詰めて言うと、「神は、アブラムが契約を守れないことを承知の上で、一方的に契約を結んでくださったのです」。これは驚くべき<自己犠牲の誓い>です。
ここでアブラムはすべての人の代表です。主はすべての人と“アブラハム契約”を結ばれたのです。しかし人は、主を裏切り続けてきた。
人は、主に不従順であり、偶像礼拝を繰り返し、主が遣わされた預言者を拒絶し、最後には救い主キリストを拒否したのです。
確かに私たちは、今日まで“信仰”を守り通すことはできなかった。それで私たちが神との契約を破ったので、神が裂かれた動物のようになってくださったのです。それが、イエス・キリストの十字架です。
ここに<福音>があります。
・契約の成立と維持は神の側の責任です。神はその責任を果たしてくださいました。 ひとり子を十字架につけて、肉を割いてくださったのです。 そして、・その契約の祝福にあずかる道として、<信仰>を残してくださった。
つまり“信仰”は、契約を守る条件ではなく、契約の恵みに入る扉なのです。
言い換えれば、「人が信仰を失ったから神(イエス・キリスト)が十字架にかかったのではなく、人が信仰を失うことを神は最初から知っておられ、その不信仰を負うために十字架にかかられて、人が約束の地に入る道を備えられた」のです。
そこに私たちは神の絶対愛を教えられるのです。では神の絶対愛を教えられたあなたは、どのように応答すれば良いのでしょうか。
それは、あなたが更に神に近づくことではないでしょうか。私たちはいっそう深い祈りをもって神と格闘する必要があるのではないか。祈ることによって神にすべてを委ね、神への信頼を深め、神との交わりを深めるのです。
主は「すべての人間は罪を犯す者であり、ご自身を全面的に信頼することのできない者である」ことを知りながら、天の御国への道を備えてくださったのです。
私たちは、さらに深い祈りと信頼をもって、主に近づかせて頂ましょう。その時、神の「驚くべき愛の契約」は、さらなる恵みをもってあなたの上に成就するのです。