2026年02月04日(水)

<讃美歌>讃美歌336番「主イエスのみ名こそ」

<聖書日課>ルカの福音書6章17~26節「神からの報い」

今イエス様の周りには<おびただしい数の人々>が集まっています。それらの人々は、「教えを聞くため」、「病気を治してもらうため」、「汚れた霊を追い出してもらうため」に集まって来たのです。

おそらくイエス様の周りは、ラッシュアワーの電車の中のような状態だったでしょう。人々は我先にとイエス様に詰め寄って来たのです。

その様子を弟子たちは、イエス様からちょっと離れたところで見ていたのでしょう。弟子たちは、そのようなイエス様を見て、ちょっと羨ましかったのではないでしょうか。

弟子たちは思っていたかもしれません。「自分もイエス様のようになれればよいのに」と。

弟子たちは、イエス様のような”人々に教える能力”、”人々の病を癒す力”、”人から悪霊を追い出す力”を持つことが、幸いな事だと思ったのではないでしょうか。

それでイエス様は、人々に囲まれながらも、弟子たちを見つめながら話されたのです。

今イエス様は、弟子たちに向けて話しておられます。それはまた、クリスチャンである私たちに向けて話しておられるのです。

『貧しい人たちは幸いです。神の国はあなたがたのものだからです』。自分の心が、神の前に貧しいものであると知ることは、天の御国に入るカギです。そのような者は、神の前に謙虚な者とされ、神をほめたたえる者とされるのです。

『今飢えている人たちは幸いです。あなたがたは満ち足りるようになるからです』。神を求めることに飢え乾く者は、必ず神の満ち満ちた豊かさを教えられるのです。

『今泣いている人たちは幸いです。あなたがたは笑うようになるからです』。自分の心の惨めさを知ることは、神の愛の豊かさを教えられて喜ぶ者とされるのです。

またイエス様は弟子たちにこのように言われます。「人々があなたがたを、‥人の子のゆえに排除し、‥」と。 貧しいこと/飢えること/泣くこと自体は、決して良いものではありません。

しかし、あなたが「主を第一とする信仰者である」がゆえに、貧しくなり、飢え、泣くことは良いことです。あなたが神から与えられる幸いは、失うものよりもはるかに大きいからです。

イエス様は言われます。『まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます』。(マタイ6章33節)

八鹿教会のすべての方が、主から豊かな報いを受ける者とされますように願っております。

感謝して、 アーメン