2026年02月01日(日)
=主の永遠のいのちの契約を忘れないために=
【要約】<旧約聖書>創世記9章1~17節
大洪水が終わってノアたちが箱舟から出てきました。神は、彼らを祝福して言われました。9章1節『生めよ。増えよ。地に満ちよ』と。ここで私たちが知らなければならないのは「神の祝福とは何か」ということです。
祝福の中心は「神との関係の回復」です。神が私たちを受け入れ、信頼し、使命を与えてくださることが祝福なのです。神は、人を信頼に値する者として造られました。
しかし罪が、神と人との信頼関係を断ち切ってしまった。ですからあなたにとって祝福とは「イエス・キリストによって、神があなたとの信頼関係を回復してくださること」です。
そこで私たちが自分に問わなければならないことは、「私はどれほど神を信頼しているか」ということです。すべての人は欠点の多い者ですが、その中で神は、ご自分の信頼に値する者を捜しておられます。
神の目はいつも人々に向けられています。でも神は“完全な者”を捜しておられるのではなく<心がご自分に向いている者>を捜しておられます。そしてそのような者に、神はご自分の使命を託されるのです。
心が主人に向いている者は、主人が自分に何を期待しているのか分かるのです。そしてそのような者に、神は恵みとして“信仰”を与えてくださいます。
そのようなことを思い巡らしますと、私たちは<神の祝福の本質的な流れ>が見えてきます。
神は人に①ご自分に向く心を求められます。 次に②神はそのような者を信頼されます。 そして③その者との関係を回復され、 ④その者を祝福され、 ⑤その者に信仰を与えられるのです。
それらのことが常に絡み合って進んで行きます。でもその主導権を握っておられるのは常に神です。
その事実は、私たちにも当てはまります。日本ではクリスチャン人口は1%以下です。そのような中で、神は私たちの心をご自分に向けさせてくださり、信仰を受け取る者として祝福してくださった。
また神はご自身がノアたちとの祝福を保つための境界線として、血の問題を語られました。血は<その者の存在を象徴するもの>です。
ですから、「血を食べることは、いのちを奪い取ること」であり、「血を流すことは、神のかたちを傷つける行為」です。
血は“いのちの象徴”であり、神が造られた“いのちの尊厳”を守るために特別扱いされるのです。それで人のいのちの尊厳を守ることは、神ご自身の尊厳を守ることにもなるのです。
そのため「血を食べてはいけない」との命令は「人間がいのちの主ではない」との神と人との境界線を示すものです。その境界線の内側には、どんな者であっても立ち入ることは許されません。
そのことは「わたしは人を祝福したい」との神の愛がそこに表されているのです。
さて神は、ノアに「わたしの契約をあなたがたとの間に立てる」と言われます。この契約は全人類との契約です。その契約は「もう大洪水で人を滅ぼさない」というものです。
今の社会も罪が満ちており、大洪水で滅ぼされても不思議ではありません。 では神はなぜ「もう大洪水で人を滅ぼさない」と言われるのか?
他の計画を持っておられるからです。それが、救い主キリストの十字架の血によって、神の御心にかなう者を救い出す人類の救済計画です。
“ノア契約”は「裁きではなく、救いによって人を立て直す」という神の意志表示の宣言です。その最終的な形が、イエス・キリストの十字架として成就するのです。
そこに私たちは、罪人をも含めた全人類に対する神の深い愛と忍耐を教えられます。
神は、大洪水で滅ぼされても仕方のないような罪人を、永遠の滅びから救い出すために、ご自分のひとり子をキリストとして地上に遣わし、十字架につけて血を流してくださったのです。
その理由は『神は人を神のかたちとして造ったから』です。
神は人を御自分のかたちとして造られた。それは人を通して、神の栄光が現わされるためにです。でも人は罪を犯し、神のかたちがゆがめられてしまった。
それでも神は、人をもう一度滅ぼすことはなさらず、神の一方的な契約を立てて全人類を救うことを計画されました。それが後に、イエス・キリストの十字架と復活となって成就するのです。
ですから<ノア契約>は“救いの歴史の入り口”として、私たちに神の愛を訴えるのです。
さらに神は、人が神の一方的な救いの契約を忘れないために、虹を立てると言われます。
虹は、人が七色に代わる自分の心の罪深さを思い起こし「裁きではなく、救いによって人を立て直す」神の愛の象徴として、人と神とをつなぐ架け橋なのです。