2026年01月25日(日)
=あなたが最後まで主に期待して福音を語るために=
【要約】<旧約聖書>創世記6章5~13節 & 7章1~16節
ノアの時代、人の心に入り込んだ罪は、人の心の中で増え広がって人を滅びへと至らせました。
神は人を「ともに過ごし、ご自分を賛美するため」に造られたのに、罪が入ったために、人は神から引き離され、神を賛美することを忘れてしまった。神の深い悲しみが見えるようです。
その“神の悲しみ”を教えられた者として、私たちの口から自然と出てくるものが三つあります。「悔い改め」と「信頼」と「感謝」です。
・「悔い改め」とは、「罪から離れる努力」ではありません。あなたが「神に立ち返ること」です。神の悲しみを知ること自体が、悔い改めの始まりです。
・「信頼」については。神の悲しみは、私たちを救うための悲しみです。だから私たちは祈ります「イエス・キリストによって私を新しくしてください」と。その時「信頼」は「信仰」へと変えられるのです。
・「感謝」については。神は、悲しみを救いの行動へと変えられました。「主よ、イエス・キリストを世に遣わしてくださったことを感謝します」。感謝は、神の悲しみを正しく受け取った者の自然な応答です。
神は悲しみをもって『人を地の面から消し去ろう』と決意されました。
しかし神は、すべての人に一つの生きる道を残されました。それで神は、正しい人であったノアにご自身の計画を告げられ、箱舟を造るように命じられたのです。
ノアは、神の警告を信じるすべての者が救われるために箱舟を造りました。箱舟を造ることは、罪ある人々にとっても、救いの道を備えることでした。
ですからノアは、人々に信仰による救いの道を備えることにおいて<キリストの型>だったのです。
ただし、ノアは不完全な型でした。旧約の代表的な人物であるノアもモーセもダビデも、キリストの不完全な型です。 彼らは<救い主の影>であり、イエス・キリストが<実体>なのです。
キリストは全人類の完全な救い主であり、完全な仲介者であり、完全な王です。
また旧約の人々は、“罪のためのいけにえ”を事あるごとにささげ続けてきました。それが“不完全ないけにえ”だったからです。
でもイエス・キリストは、ご自分の体を「全人類の罪のための完全ないけにえ」として一度だけ神にささげられたのです。
私たちの罪は、2,000年前に十字架の上で清算されています。ですから父なる神は、イエス・キリストを信じる者を<罪なき者>と見なしてくださり、天の御国へ召してくださるのです。
これは神の変わらない一方的な契約です。
さて何十年もかかって造り続けた箱舟が完成して、ノアと彼の家族が中に入ってから七日後に雨が降り出しました。そしてその時に、神が箱舟の戸を閉じられたのです。
ノアが箱舟に入ってからも「七日間は箱舟の扉は開いていた」のです。 その七日間の間は、誰でも箱舟に入ることができたのです。でも誰も箱舟に入ろうとはしなかった。
救いには期限があります。神がうしろの戸を閉じられた後は、誰も救いの中に入ることはできません。神が閉じられた扉は、神以外には、誰も開けることができないからです。
いま生きているすべての人にとっても、神の摂理によって、うしろの扉が閉じられる時が来ます。死ぬときです。
その時、神の手によって箱舟の扉が閉じられたように、すべての人々にとっても、神の手によって“救いの扉”が閉じられるのです。
その時が救いの期限です。その時までに、イエス・キリストが自分の罪からの救い主であることを信じなければ、その者が天の御国に入ることはできません。
ですからノアの箱舟は、イエス・キリストの型です。
ここでもう少し「神が箱舟の扉を閉じられたこと」の意味を掘り下げます。
第一に、そのことは「救いの主導権は神にある」ことを示しています。ノアは箱舟を造り、従いましたが、「救いの完成」は神が行われるのです。
第二に、それは「救いの時が終わった」ことを意味します。扉が閉じられた瞬間、悔い改めの時は終わり、さばきの時が始まるのです。
第三に、それは「神が守り、神が救う」ことの保証であることです。扉を閉じたのが神であることは、「箱舟の中にいる者は完全に神の守りの中にある」のです。これは、イエス・キリストにある救いの確かさの型でもあります。
さてノアは一人でも多くの人が箱舟の中に入り、滅びから救われることを願っていました。その思いは、今の私たちの思いでもあるはずです。
ノアが箱舟に入った後も、なお7日間救いの扉が開いていたように、私たちが救われた後も、他の人々のために、まだ救いの門は開いています。ですから私たちは、福音を語り祈り続けねばならないのです。