2026年01月14日(水)

讃美歌>讃美歌164番「わがたまよ 主をほめよ」

<聖書日課>マタイの福音書12章15~21節「まことの選びの民」

聖書の中では、一般的に「異邦人」ということばは「ユダヤ人」に対抗することばとして用いられています。

ユダヤ人たちは、自分たちはアブラハムの子孫であり「神の選びの民」であることを誇りとしています。そしてユダヤ人たちは、自分たち以外の者を、神の祝福の外にいる者として「異邦人」と呼びました。

 さてパリサイ人たちは、イエス様が安息日に片手の萎えた者の手を癒されたので、イエス様を殺そうと相談し始めました。(14節)  イエス様はそれに気づかれて、その場から立ち去られました。

でも大勢の群衆はイエス様について行き、病やけがを癒してもらったのです。パリサイ人はユダヤ人であり、大勢の群衆もユダヤ人です。

 福音書記者マタイは、これはイザヤの預言の成就であると言っています。預言のことばの「わたしが選んだわたしのしもべ」とは、救い主キリストでありイエス様のことです。

イエス様は、「異邦人にさばきを告げ」(18節)、「異邦人は彼の名(イエス・キリスト)に望みをかける」のです。(21節)

一連の話の中で、さばきを告げられるのはパリサイ人であり、イエス様に望みをかけるのは群衆です。本来救い主キリストに望みをかけるのは「ユダヤ人」のはずです。

 ここでマタイはイザヤの預言を引用して、「さばきを告げられるのはイエス・キリストを認めないパリサイ人たちであり、イエスの名に期待して救われるのが、イエス様に従った一般の人々である」と語っています。

  それは「民族的なユダヤ人が選びの民ではなく、イエス様を救い主キリストであると信じる者がまことの選びの民である」ことを語っています。

 パリサイ人たちは、自分たちがユダヤ人(選びの民)であることを誇りとしていましたが、まことの誇るべきは、その者がイエス・キリストに天の御国の望みを置いていることにかかっているのです。

その意味で、私たちこそ主が選んでくださった「まことの選びの民」なのです。

ですから私たちは、「まことの選びの民」であることに感謝して、これからも主を賛美して、喜んで主に仕えさせていただきましょう。  アーメン